山本幸男さん(浪江町・帰還困難区域)78歳

被災農家の声(インタビュー)

①種:和牛 

②頭数:30頭(震災前)→50頭(震災後)→30頭(事故等で減った)→23頭 

③電気:無し 

④水道:無し(自然の水はあった) 

⑤エサ:農耕飼料は購入、粗飼料は自給自足 

⑥当時のエサやり(通った)頻度:定期的に通っていた 

⑦震災当時の状況把握:ある程度の状況把握はできていた(原発から15㎞付近) 

⑧放牧:農地は30ha5田、5畑、20山)。電気柵に関する知識あり。放牧経験あり。   

⑨牛の移動:2t車保有。山本さんの牛たちは誘導せずとも勝手に来ていた。「100頭まで受け入れる、浪江町の平たん部の避難所になる。」と表明。 

⑩金言:「一番の財産は自然環境。」「目先のことだけではだめ。」「100年の大計。」    

3月11日以降10日間避難所で生活していたが牛が心配で仕方なかった山本さん。10日目に牛のもとへ。繋がれていた牛はたまたま自力で牛舎から出ていた。その後、週に2,3回くらいは浪江町の牧場に赴き、牛の餌やりをしたり、牛の状況を確認したりした。車で片道3時間往復6時間かけてでも行ったそうだ(シズさんと共に)。

山本幸男①

動画①震災になって、初めてこういう牛飼いをしたいなあ、ていう。

結局、一番大変なのは糞尿処理。機械を使おうが。

があったから助かっただけ。水がないところは全然だめ。だから私の牧場に近くの牛たちが集まってきた。自然の水(山からの水)があるから。

※インタビュー中も外から水の流れる音が聞えてくる

自然の水は味も整っている。

※以前、保健所の調査があったそうだが、「浪江町ほどおいしい水は他にないよ」と言われたそうだ。

【コニシ感想】※こう語る幸男さんはどこか誇らしげだった。

ベストは「自然に恵まれたところで牛が育っていくこと」。

(画像:「牛は放牧して飼うことが、自然で飼うことが一番。」と語る山本さん。

牛は放牧して飼うことが、自然で飼うことが一番。

雑草を食べる→健康状態も良好

放牧の場合:自然に任せておけばいい

放牧ではない場合(牛舎):糞尿処理

世界の市場に出しても恥ずかしくない浪江の牛。

【コニシ感想】(※終始伝わってきたのは自分の牛への愛や敬意、故郷への愛や敬意であった。)

【コニシ感想】(※私は本籍が長崎で、祖父が被爆者ということもあり、幸男さんと祖父が重なって見えた。祖父も終戦から60年経っても口を開かなかった。そして、ある日重い口を開いて、私にあの日のことを語ってくれたのだ。それから程なくして祖父は亡くなった。)

山本幸男②

動画②震災当時の話

10日間避難所で生活していたが牛が心配で仕方なかった。

※避難所での生活にはプライバシーというものが一切なく、仕切りもなかった。

自力で脱出した牛もいた。

10日目に牛のもとへ。山本さんの繋がれていた牛はたまたま自力で牛舎から出ていた。

一方、よそに目を向けると、繋がれたまま亡くなっていた牛もいた。

山本さんはよその繋がれた牛を解放してやったそう。しかし、その牛たちは非常に衰弱しており、自力で歩けず水も飲むことができないほどだったという。

そのため、山本さんはその牛たちのために水を運んであげたそうだ。だが、残念ながらその牛たちの中には程なくして亡くなってしまったものもいたそうだ。

(画像:震災を乗り越えてきた牛たち。)

週に2,3回くらいは浪江町の牧場に赴き、牛の餌やりをしたり、牛の状況を確認したりした。車で片道3時間往復6時間かけてでも行ったそうだ(シズさんと共に)。

柵を作って飼養管理が認められた、工事が正式にされたのが2012年の5月?2011年?

家族同然の牛を安楽死、、?そんなことできない。しかし、人様には迷惑をかけられないことは山本さんも重々承知のことであった。だから、子孫を残せないように処置をした。

牛飼いの大半は牛を安楽死させたくなかった。しかし、牛のいるところに通うだけでも一苦労、という現実は牛飼いの方々に重くのしかかった。

そのため、安楽死処分せざるを得ないところも少なくはなかったそうだ。年々、牛の個体数は減った。と同時に牛飼いも減っていった。

4月から12月は餌をやってない。木の葉っぱや雑草を食べている。

震災当時12歳だった牛が今では22歳

放射能は牛に被害を与えないのか、というのを岩手大学、北里大学、東北大学、東京大学が調査研究を行っているそうだ。食べても健康には害はないようだ。

※山本さんは「国が行うべきでは?」と仰っていた。

【コニシ感想】耳が痛い。。確かにそうだ。原子力関連の部署はあるにも関わらず、、

農地の除染も終わりそう。2025年には帰還困難区域も、、?

品評会で上位を獲るなどして被災牛たちをもっと。。

山本幸男④

動画④集落全体を牛で守ると効率的。全国の里山でも。

限界集落、耕作放棄地が年々増加。

集落全体での協力体制を強化すべき。

【コニシ感想】全体を見渡せる力に感服した。ご本人は終始「何もすごいことは言っていないし、していないよ。」と仰っていたが、俯瞰的に物事を見ることができることは並大抵のことではない。被害を受けたのは山本さん、であるにもかかわらず、冷静に先を見て、言葉を紡ぐ山本さんのお話を一人でも多くの方に聞いてほしいと感じた。

山本幸男⑤

動画⑤一人ではできない、みんなでやろう。そういった地域づくりを。

協力すれば手間も費用もそこまでかからない。

最近、人も徐々に戻りつつある。今がチャンス。まずは1、2頭からでも。

【コニシ感想】今がチャンス、というのは紛れもない事実であろう。今を逃すと厳しいかもしれない。3.11から10年という節目に一人でも多くの方に現状を知ってもらい、協力してもらえたら…

高齢者はみな、どこかしら悪い。→(だから、見回りして、健康になろう)

Ex)足、腰、、

牛一頭50万円でも買える。

山本幸男⑥

動画⑥お金だけではない

利益云々ではなく、牛を守る。

利益が上がらなくても守らなくてはならない使命がある。

→国を守る、地域も守る、自分の家も守ることにつながる。

山本幸男⑧(電柵の簡単な作り方)

動画⑧電柵の簡単な作り方

電柵:20~30年もつ

コニシ感想】動画開始早々、私は足腰の強さに驚いた。

牛道。

美味しそうな草(雑草)がたくさん。

Ex)クローバー、クズなど

(画像:整備された農地。奥に見える看板が、この地が被災地であるということを私たちに突きつける。)

杭を打てなくても掘って入れれば、打ち込まなくてもいい

1個100円のリング型碍子を)木にねじ込むだけでOK。落ちない。

※手でねじ込むことが可能

冬用のストック、備蓄草地。

山に広葉樹が多いので土砂崩れは少ない。

海抜も高く、津波の恐れもほとんどない。

雑草、自然の水で育った牛は艶も良い。

草の状況を見て、牛を移動させる。

イノシシもよく出るそうだ(震災前は出てこなかった)。

牛のフンも道中に。

急傾斜地もお茶の子さいさいな牛たち。

放牧は土壌固めにも一役買ってでる。

継続は力なり。

【コニシ感想】広大な土地をここまで整備できるのは、ひとえに牛への愛があったからであろうか。ご先祖様への敬意もそうさせたのだろう。

山本幸男⑨避難民避難牛受け入れ表明

動画⑨避難民避難牛受け入れ表明

いつでも牧場を提供します、と心強い山本さんのお言葉。

300頭を受け入れられます、とのこと。

200人受け入れられる、と。

山本幸男⑩ご先祖様

動画⑩ご先祖様

自分一人ではできない。一代では成しえない。何代も何代も積み重ねてきたからこそ、「今」があるすべてご先祖様のおかげ。ご先祖様も地域の人々と共に歩んできた、暮らしてきた。だから、自分も恩返ししなくては。大変な思いをされている方、困っている方の助けに。

先祖から受け継いでいるから、自分の代では絶やせない。

山本幸男⑪200年

動画⑪物事は200年スパンで見ることができる

200年先を山本さんは見据えている。安いから、高いからではなく、安くても手入れをしておけば、50年、100年後には財産になる。自然をまもる、災害からまもるにはこういった考え方が必要である。

木と石。鉄筋コンクリートは一見丈夫そうに見えるが、、

(画像:この先も山本さんは歩みを止めない。)

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