田中一正さん(飯舘村・計画的避難区域)50歳

①種:酪農 

②頭数:50頭 

③電気:停電。津島(津島は水力発電をしているため停電にならず)に行って、発電機借りてきて牛乳を搾った。200vの発電機。飯舘村全域が停電になっていたため、村内で使っている発電機は当然誰かが使っている訳なのでもう借りられないから、付き合いのある津島の人のところに行って、借りた。 

④水道:2つ井戸あり。そのうち1つは山手の高いところにある(ポンプを使わずに重力で落とす方式のもの)。水は溢れさすだけ(引水のため)。水はタダ(無料)。流れた水、溢れてこぼれた水がちゃんと排水溝にいくようにしていた。ホテルとかの風呂桶をもらってきたりだとか、様々なものを利用していた。必要量供給できていた。 

⑤エサ:向こう1ヶ月分ぐらいの餌はあった。そこから先は餌も手に入れられなくなった。次から次へとみんな避難していくため、和牛農家さんとかから要らないロールとか全部片っ端からもらってきた。 

⑥当時のエサやり(通った)頻度:当然、3月12日から牛乳出荷してないので、日銭、お金が入ってこなかった。牛乳を出すための餌というよりも生命を維持するための餌にシフトしていった。濃厚を減らして、粗飼料中心で必要最低限のエサやりを行った。 

⑦震災当時の状況把握:震災当時、村内で車に乗っていた。確定申告の帰り道だった。車が運転できないぐらいに揺れた。携帯電話のアンテナ塔も落ちた。テレビも当然使えなかった。何よりも津波の方がたまげた。後でテレビ映るようになり、あの映像を見てビックリした。浜、海沿いでこんな事起きてたのかって。テレビ点いたのは月曜日の夜6時。金曜日に震災起きて、金、土、日で月と。月曜日の夕方6時にパッと電気が点きだした。停電になると電気は点けっぱなしにしてる、スイッチとか。だから、一斉に牛舎から、家からバチバチって光点きだした。時計フッとみたら6時だった。(原発から51km付近) 

⑧放牧:3町分。うち、7反からは田んぼ。牛たちは自宅と同じ敷地内にある牛舎にいた。牛は、基本的には、その辺に放り投げる訳にはいかないので、畜主としての責任はあるので、酪農組合とかに手伝ってもらって、半分ぐらいは人手(よその牧場)に渡して、半分ぐらいは屠場に。放牧経験あり(夜間放牧も)。電牧はわして、道つくって、それで勝手に行けっていう。  

⑨牛の移動:家畜車使用可能  

⑩金言:「頭に血上らせない。」

「大きい出来事起こると精神状態が穏やかではないのはそれはよく分かるんだけれど、でもね、過度にカーッとなったりそうやってアタフタしちゃったりすると何も手につかなくなっちゃったりとかね、上手くいかなくなったりとかあるんで違うところで足元すくわれる可能性あるもんですから。」

「なるべく普段と変わらずにっていう、淡々とっていうのをね。酪農の良いところってそういうところなんですよね。結局、365日同じ事の繰り返しな訳ですよ、基本は。だから、なるべくそういう、ペース崩さないようにしたほうがいいよっていう事は思いますけれど。」

リスク管理だよねっていう、リスクマネジメントは、やっぱり、心の奥底っていうかそれなりに考えといたほうがいいよっていう。だから、餌をね、多少の事あってもいいようにちょっと余計にストックする

「未来の事だからなんとも言えないけれど、いずれにしても、酪農のみならず、それぞれみんなの人生なんですよ、その人その人の人生なんですよね。なので、自分の人生が豊かにっていうんですかね、納得できるように、いつの日か死んじゃう訳ですけど、僕もね、トータルとしたら良かったんじゃないとかって思えれば、やっぱり、いいんじゃないのっていう。僕、だから、それで酪農っていう道を選んでる訳ですし。」

色んな職業も、色んな人生もある訳ですけれども、悔いないようにっていうか自分が納得できるようなそういう人生を送ってくれればいいんじゃないっていう。そのためには色々悩んだりだとか、チャレンジしたりだとか、自分がそうやって思いたいってこういう風な生き方しようっていうか、こういう職業に就こうとかって思った時になるべく軸足がブレないように、三日三月三年じゃないですけれども、ちょっとかじっただけでできるようなフリしたりだとか、いきなり諦めてこれやめたとかつって、結局、この10年僕は一体何してたんだろとかっていう風なのは送りたくないよねっていう。」

「色んな職業あるけどみんな銘々、やっぱり、そういう風な、自分の人生だもんよっていう、人に迷惑かけない程度に楽しく充実したそういう人生を送ってみてはどうでしょうとか。僕は、自分にそういう風な生き方したいと思って生きてます。」

田中さん:震災起きる直前の大晦日にガツンと雪降ってたんですけどね。

インタビュアー:大晦日ですか。

田中さん:ひょっとしたらこれはホワイトクリスマスならぬホワイトお正月、じゃないかもしれない。

インタビュアー:じゃないかもしれない。

田中さん:と思ったら、結局、大晦日にガンッと降って、最悪って感じです。やっぱりなと思って。

インタビュアー:雪は嫌なんですか。嫌ですよね。

田中さん:それは当然。1つ作業増えますからね。

インタビュアー:雪かきなんですよね。

田中さん:酪農っていうのは、どんな仕事も同じかも分かんないですけれど、結局、ここならここに牛乳回収のトラック来て、牛乳を吸い取って、それで伝票置いて始めて取引成立するんで。

インタビュアー:来てくんないとダメって事ですね。

田中さん:そうそう。雪が積もってて来れませんつったら。

インタビュアー:売り上げがなくなっちゃう。

田中さん:そうそう。まあ、それはね、当然、セブンイレブンの配達だってなんだって同じなんでしょうから。

インタビュアー:そうですよね。ファミリーマートで働いてたんで分かります。なかったらおしまいって事。

田中さん:商品棚に新しい商品を置かない事には。

インタビュアー:そう。始まらないですね。

田中さん:同じように、ここまで牛乳回収のトラック来てくれない事には。自分の敷地内であれば、当然、除雪するのは当たり前だよねっていう。

インタビュアー:道路は除雪車来てたんですか。

田中さん:飯舘の、道路だろうが、全域で。長泥っていうか、飯舘は結構早い段階で除雪ですよ。

インタビュアー:昔からですか。

田中さん:うん。規定あるじゃないですか、何センチ雪積もったら除雪部隊呼び出しますって。

インタビュアー:ああ。はい。

田中さん:隣の川俣は結構積もんないとやんないんですけどね。

インタビュアー:ふーん。

田中さん:なので、川俣分は全然雪があるんだけれど、飯舘は雪はない、除雪してないってパターンのが多かったですよ。

インタビュアー:それはすごい賢いですよね。

田中さん:うん。通常の道路なんかは、田舎村の割には道路整備は、あんな田舎村だから砂利道ばっかだろ、と思ったらそうじゃないっていう。意外と、なんで道こんな綺麗なのっていう。

インタビュアー:しかも除雪もしてくれて早いよって。

田中さん:だし、綺麗にアスファルトもしてるっていうのは、あれですよね。

インタビュアー:良いですね。

田中さん:うん。そこはいいにしても、そっから先、自分の牛舎のある場所までは自分でやんないといけないから。

インタビュアー:相当大変ですよね。

田中さん:うん。

インタビュアー:私、会津で雪かきした事あるんですけど。

田中さん:手ではやんないですよ。

インタビュアー:ブルドーザー。

田中さん:うん。重機でやっちゃいますけれども。

インタビュアー:持ってるんですか。重機って。

田中さん:それは当然。そういうのないと仕事にならないので。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:1台だけ持ってて、それで毎日、365日洗って。牛の牛糞、堆肥から、餌から、何にでも使えるように毎日洗って大切に使ってましたけどね。

インタビュアー:ブルドーザーはどの酪農家さんも必ず。

田中さん:持ってるとは限んないですけれど。

インタビュアー:飯舘の方は持ってる率が高いっていう。

田中さん:どうだろう。半分いるかいないか。トラクターとかのドッキングとか色々あるんで、似たようなものが。でも、それに準ずるものは、みんな、銘々持ってましたよね。

インタビュアー:準ずるもの。

田中さん:私と同じもの持ってる人ってのはあれですけれど、いるんだかいないんだから知りませんけれどっていう。

インタビュアー:ああ。草ってどうされてたんですか。草っていうか餌。

田中さん:餌は基本的に買ってました。

インタビュアー:コンパクトみたいなやつじゃなくてロールで。

田中さん:うん。ちゃんと輸入ボックスに入って。乾燥ですけどね。

インタビュアー:四角い。

田中さん:そうそう。一部、装置余ってたんで草刈って、それはなんぼか子牛とかにはあげたりだとかはしてましたけれど、メインではないですね。おやつ程度な感じですね。

インタビュアー:ああ。

田中さん:乳牛は和牛と違って食べる量がまるで違うんで。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:うん。

インタビュアー:配分とかも全然違いますもんね。

田中さん:配分なんてここの牧場の牛で13キロ、14キロ。

インタビュアー:ああ。

田中さん:朝晩やるとしたら半分ずつなんで、6キロ、7キロいきなりあげちゃうんですよね。

インタビュアー:全然違いますよね。

田中さん:和牛は1キロ、2キロの世界ですけれども。

インタビュアー:そうですね。妊娠の時に3キロとかぐらいかなって感じですけれど、16キロ、17キロを1日で。

田中さん:うん。

[00:05:00]

インタビュアー:そのストック場所みたいなのもつくられてたんですか。

田中さん:それは当然。飼料倉庫だとか。

インタビュアー:それは大きくないと入らないんですか。それとも、こまめに運んでもらってっていう感じなんですか。

田中さん:大体月に1回、ひと月からふた月に、1ヶ月半に1回とかそのぐらいの感じですよね。

インタビュアー:細かい事もお聞きさせていただいてるんですけど、どういう規模の、やっぱ、規模とか、頭数とかで話が違ってきたりすると思うので。その種類とか。

田中さん:うちは大体50頭ぐらい。

インタビュアー:すごい多いですね。50頭いたんですか。

田中さん:ただ、やっぱり、生き物なんで生き死にあるんで、古くなって、年取って出荷しちゃったとか、やっぱり、こういう波はあります、当然。

インタビュアー:はい。それはもちろん。

田中さん:大体は45プラスマイナス、45から50ぐらいで推移すればいいかなっていう。たまには、あれ、やべ、減っちゃった、っていう部分はあるんですけれど、大体そのぐらいでずっと。

インタビュアー:きてるんですね。

田中さん:はい。一時、60近くいった時もあるんですけれど、さすがに1人でやるのは大変なんですよね。1つ作業体系が変わるというか、うちの場合はですけどね、ただ繋いでるのが増えるだけじゃないんで。ちょっと、手回りづらいし。

インタビュアー:適正な頭数が50以内っていう。

田中さん:そうですね。大体50弱とか50ぐらいで1年間推移できれば暮らしていけるっていう、そういう管理とか経営形態っていうのを目指すというか、実践するっていうか。

インタビュアー:それは、震災前の何年前ぐらいからそういう感じで経営されてたんですか。

田中さん:始めて最初の年とかは牛を増やす段階なんであれですけど、6~7年はもう大体そういう感じですね。

インタビュアー:そうなんですね。

~中略~

インタビュアー:じゃあ、この順番でお聞きさせていただきます。最初に自己紹介をお願いいたします。

田中さん:田中と申します。よろしくお願いします。

[00:15:02]

インタビュアー:震災前のご住所はどちらに。

田中さん:飯舘村の長泥というところにいました。

インタビュアー:ご年齢は、差し支えない範囲で。

田中さん:49歳です。

インタビュアー:避難先の自治体っていうのは。

田中さん:福島市になります。

インタビュアー:震災前の、ご自宅の敷地とかってどういう感じだったですか。

田中さん:中山間地ですね。

インタビュアー:中山間地。

田中さん:はい。

インタビュアー:牛におやつであげる草地っていうのは田んぼだったですか。

田中さん:田んぼも畑も両方ありました。

インタビュアー:面積的にはどういう。

田中さん:自分の持ち分としては3町分ですね。

インタビュアー:広いじゃないですか。そうですか。

田中さん:うち、7反からは田んぼですね。

インタビュアー:他のところも借りたりとかされたんですか。

田中さん:それはしてなかったです。

インタビュアー:分かりました。経営形態は酪農で。

田中さん:そうですね。酪農で購入型ですね。

インタビュアー:はい。子牛というか、育成って言うんですか、乳牛の場合は。

田中さん:自家育成で、自分の家でしていくようなやり方ですね。

インタビュアー:何頭ぐらいそれは、50頭のうち何頭ぐらい。

田中さん:どうだったっけ。基本的には、肉用にする牛なんかは1ヶ月ぐらいで売っぱらっちゃうのでカウントしなくてもいいと思うんですけれども、その瞬間何頭いたって言われたらちょっとあれなんですけれども、10頭ぐらいはメス子牛はちゃんと。いや、10頭じゃ効かないな。まあ、いいや。10頭強だと思います。

インタビュアー:はい。牛はいつ頃始められましたか。

田中さん:飯舘村で始めたのは2001年ですね。

インタビュアー:それから6~7年っていう事ですよね。

田中さん:2001年に始めて20011年に震災が起きたって事ですね。だから、丸10年というか、10年目ですよね。

インタビュアー:その前は牛を飼われてましたか。

田中さん:栃木県の牧場に勤めておりました。

インタビュアー:大変だった事はありますか。

田中さん:自分の家でですか。

インタビュアー:はい。震災前の牛やってた時に大変だった事。

田中さん:やっぱり、雪かきも当然大変だし、全部1人でやんないといけなかったんで、そういう意味では、大雨降ったりとか様々なトラブルにあった時は大変ですよね。マンパワーに限りがあるので、なんでも人ばっかり頼ってもいられないので。

インタビュアー:そういう時はどうやって解決されたんですか。

田中さん:偶然もありますし、時間が解決するものもあるかもしれないし、あの手この手、知恵使ってでも、何してでもっていう。

インタビュアー:幸せだった事ってなんでしたか。

田中さん:もともと、自分で好きなように牧場経営したかったのが、という夢が叶ったという意味では幸せでしたよね。のんびりとね、自分の家で自分の家業としてやるってのが、そういうのが幸せですよね。

インタビュアー:家のすぐ近くに牛舎ってあったんですか。

田中さん:そうですね。同じ敷地内に。

[00:20:00]

インタビュアー:敷地内って家ですよね。はー。2011年の3月11日まではどういう状態だったんですか。特にトラブルとかもなく。

田中さん:そうですね。普通に。

インタビュアー:通常の経営で。

田中さん:通常の経営をしていたって事ですよね。

インタビュアー:ここからは震災当時の話なんですけど、震災当時はどこにいらっしゃったですか。

田中さん:震災のその瞬間って事ですか。

インタビュアー:はい。

田中さん:村内におりました。車に乗ってました。村内で。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:確定申告の帰り道です。

インタビュアー:そういう時期ですよね。

田中さん:はい。

タイトルを追加

田中さん:震災起きる直前の大晦日にガツンと雪降ってたんですけどね。

インタビュアー:大晦日ですか。

田中さん:ひょっとしたらこれはホワイトクリスマスならぬホワイトお正月、じゃないかもしれない。

インタビュアー:じゃないかもしれない。

田中さん:と思ったら、結局、大晦日にガンッと降って、最悪って感じです。やっぱりなと思って。

インタビュアー:雪は嫌なんですか。嫌ですよね。

田中さん:それは当然。1つ作業増えますからね。

インタビュアー:雪かきなんですよね。

田中さん:酪農っていうのは、どんな仕事も同じかも分かんないですけれど、結局、ここならここに牛乳回収のトラック来て、牛乳を吸い取って、それで伝票置いて始めて取引成立するんで。

インタビュアー:来てくんないとダメって事ですね。

田中さん:そうそう。雪が積もってて来れませんつったら。

インタビュアー:売り上げがなくなっちゃう。

田中さん:そうそう。まあ、それはね、当然、セブンイレブンの配達だってなんだって同じなんでしょうから。

インタビュアー:そうですよね。ファミリーマートで働いてたんで分かります。なかったらおしまいって事。

田中さん:商品棚に新しい商品を置かない事には。

インタビュアー:そう。始まらないですね。

田中さん:同じように、ここまで牛乳回収のトラック来てくれない事には。自分の敷地内であれば、当然、除雪するのは当たり前だよねっていう。

インタビュアー:道路は除雪車来てたんですか。

田中さん:飯舘の、道路だろうが、全域で。長泥っていうか、飯舘は結構早い段階で除雪ですよ。

インタビュアー:昔からですか。

田中さん:うん。規定あるじゃないですか、何センチ雪積もったら除雪部隊呼び出しますって。

インタビュアー:ああ。はい。

田中さん:隣の川俣は結構積もんないとやんないんですけどね。

インタビュアー:ふーん。

田中さん:なので、川俣分は全然雪があるんだけれど、飯舘は雪はない、除雪してないってパターンのが多かったですよ。

インタビュアー:それはすごい賢いですよね。

田中さん:うん。通常の道路なんかは、田舎村の割には道路整備は、あんな田舎村だから砂利道ばっかだろ、と思ったらそうじゃないっていう。意外と、なんで道こんな綺麗なのっていう。

インタビュアー:しかも除雪もしてくれて早いよって。

田中さん:だし、綺麗にアスファルトもしてるっていうのは、あれですよね。

インタビュアー:良いですね。

田中さん:うん。そこはいいにしても、そっから先、自分の牛舎のある場所までは自分でやんないといけないから。

インタビュアー:相当大変ですよね。

田中さん:うん。

インタビュアー:私、会津で雪かきした事あるんですけど。

田中さん:手ではやんないですよ。

インタビュアー:ブルドーザー。

田中さん:うん。重機でやっちゃいますけれども。

インタビュアー:持ってるんですか。重機って。

田中さん:それは当然。そういうのないと仕事にならないので。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:1台だけ持ってて、それで毎日、365日洗って。牛の牛糞、堆肥から、餌から、何にでも使えるように毎日洗って大切に使ってましたけどね。

インタビュアー:ブルドーザーはどの酪農家さんも必ず。

田中さん:持ってるとは限んないですけれど。

インタビュアー:飯舘の方は持ってる率が高いっていう。

田中さん:どうだろう。半分いるかいないか。トラクターとかのドッキングとか色々あるんで、似たようなものが。でも、それに準ずるものは、みんな、銘々持ってましたよね。

インタビュアー:準ずるもの。

田中さん:私と同じもの持ってる人ってのはあれですけれど、いるんだかいないんだから知りませんけれどっていう。

インタビュアー:ああ。草ってどうされてたんですか。草っていうか餌。

田中さん:餌は基本的に買ってました。

インタビュアー:コンパクトみたいなやつじゃなくてロールで。

田中さん:うん。ちゃんと輸入ボックスに入って。乾燥ですけどね。

インタビュアー:四角い。

田中さん:そうそう。一部、装置余ってたんで草刈って、それはなんぼか子牛とかにはあげたりだとかはしてましたけれど、メインではないですね。おやつ程度な感じですね。

インタビュアー:ああ。

田中さん:乳牛は和牛と違って食べる量がまるで違うんで。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:うん。

インタビュアー:配分とかも全然違いますもんね。

田中さん:配分なんてここの牧場の牛で13キロ、14キロ。

インタビュアー:ああ。

田中さん:朝晩やるとしたら半分ずつなんで、6キロ、7キロいきなりあげちゃうんですよね。

インタビュアー:全然違いますよね。

田中さん:和牛は1キロ、2キロの世界ですけれども。

インタビュアー:そうですね。妊娠の時に3キロとかぐらいかなって感じですけれど、16キロ、17キロを1日で。

田中さん:うん。

[00:05:00]

インタビュアー:そのストック場所みたいなのもつくられてたんですか。

田中さん:それは当然。飼料倉庫だとか。

インタビュアー:それは大きくないと入らないんですか。それとも、こまめに運んでもらってっていう感じなんですか。

田中さん:大体月に1回、ひと月からふた月に、1ヶ月半に1回とかそのぐらいの感じですよね。

インタビュアー:細かい事もお聞きさせていただいてるんですけど、どういう規模の、やっぱ、規模とか、頭数とかで話が違ってきたりすると思うので。その種類とか。

田中さん:うちは大体50頭ぐらい。

インタビュアー:すごい多いですね。50頭いたんですか。

田中さん:ただ、やっぱり、生き物なんで生き死にあるんで、古くなって、年取って出荷しちゃったとか、やっぱり、こういう波はあります、当然。

インタビュアー:はい。それはもちろん。

田中さん:大体は45プラスマイナス、45から50ぐらいで推移すればいいかなっていう。たまには、あれ、やべ、減っちゃった、っていう部分はあるんですけれど、大体そのぐらいでずっと。

インタビュアー:きてるんですね。

田中さん:はい。一時、60近くいった時もあるんですけれど、さすがに1人でやるのは大変なんですよね。1つ作業体系が変わるというか、うちの場合はですけどね、ただ繋いでるのが増えるだけじゃないんで。ちょっと、手回りづらいし。

インタビュアー:適正な頭数が50以内っていう。

田中さん:そうですね。大体50弱とか50ぐらいで1年間推移できれば暮らしていけるっていう、そういう管理とか経営形態っていうのを目指すというか、実践するっていうか。

インタビュアー:それは、震災前の何年前ぐらいからそういう感じで経営されてたんですか。

田中さん:始めて最初の年とかは牛を増やす段階なんであれですけど、6~7年はもう大体そういう感じですね。

インタビュアー:そうなんですね。

~中略~

インタビュアー:じゃあ、この順番でお聞きさせていただきます。最初に自己紹介をお願いいたします。

田中さん:田中と申します。よろしくお願いします。

[00:15:02]

インタビュアー:震災前のご住所はどちらに。

田中さん:飯舘村の長泥というところにいました。

インタビュアー:ご年齢は、差し支えない範囲で。

田中さん:49歳です。

インタビュアー:避難先の自治体っていうのは。

田中さん:福島市になります。

インタビュアー:震災前の、ご自宅の敷地とかってどういう感じだったですか。

田中さん:中山間地ですね。

インタビュアー:中山間地。

田中さん:はい。

インタビュアー:牛におやつであげる草地っていうのは田んぼだったですか。

田中さん:田んぼも畑も両方ありました。

インタビュアー:面積的にはどういう。

田中さん:自分の持ち分としては3町分ですね。

インタビュアー:広いじゃないですか。そうですか。

田中さん:うち、7反からは田んぼですね。

インタビュアー:他のところも借りたりとかされたんですか。

田中さん:それはしてなかったです。

インタビュアー:分かりました。経営形態は酪農で。

田中さん:そうですね。酪農で購入型ですね。

インタビュアー:はい。子牛というか、育成って言うんですか、乳牛の場合は。

田中さん:自家育成で、自分の家でしていくようなやり方ですね。

インタビュアー:何頭ぐらいそれは、50頭のうち何頭ぐらい。

田中さん:どうだったっけ。基本的には、肉用にする牛なんかは1ヶ月ぐらいで売っぱらっちゃうのでカウントしなくてもいいと思うんですけれども、その瞬間何頭いたって言われたらちょっとあれなんですけれども、10頭ぐらいはメス子牛はちゃんと。いや、10頭じゃ効かないな。まあ、いいや。10頭強だと思います。

インタビュアー:はい。牛はいつ頃始められましたか。

田中さん:飯舘村で始めたのは2001年ですね。

インタビュアー:それから6~7年っていう事ですよね。

田中さん:2001年に始めて20011年に震災が起きたって事ですね。だから、丸10年というか、10年目ですよね。

インタビュアー:その前は牛を飼われてましたか。

田中さん:栃木県の牧場に勤めておりました。

インタビュアー:大変だった事はありますか。

田中さん:自分の家でですか。

インタビュアー:はい。震災前の牛やってた時に大変だった事。

田中さん:やっぱり、雪かきも当然大変だし、全部1人でやんないといけなかったんで、そういう意味では、大雨降ったりとか様々なトラブルにあった時は大変ですよね。マンパワーに限りがあるので、なんでも人ばっかり頼ってもいられないので。

インタビュアー:そういう時はどうやって解決されたんですか。

田中さん:偶然もありますし、時間が解決するものもあるかもしれないし、あの手この手、知恵使ってでも、何してでもっていう。

インタビュアー:幸せだった事ってなんでしたか。

田中さん:もともと、自分で好きなように牧場経営したかったのが、という夢が叶ったという意味では幸せでしたよね。のんびりとね、自分の家で自分の家業としてやるってのが、そういうのが幸せですよね。

インタビュアー:家のすぐ近くに牛舎ってあったんですか。

田中さん:そうですね。同じ敷地内に。

[00:20:00]

インタビュアー:敷地内って家ですよね。はー。2011年の3月11日まではどういう状態だったんですか。特にトラブルとかもなく。

田中さん:そうですね。普通に。

インタビュアー:通常の経営で。

田中さん:通常の経営をしていたって事ですよね。

インタビュアー:ここからは震災当時の話なんですけど、震災当時はどこにいらっしゃったですか。

田中さん:震災のその瞬間って事ですか。

インタビュアー:はい。

田中さん:村内におりました。車に乗ってました。村内で。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:確定申告の帰り道です。

インタビュアー:そういう時期ですよね。

田中さん:はい。

【コニシ感想】池田さんもだった、「年度末調整の書類やってました。確定申告。」と仰ってた。その妙に現実味を帯びたというか、その生々しさに思わず身震いしてしまう。

インタビュアー:車だったんですね。

田中さん:そうですね。

インタビュアー:車とか揺れましたよね。

田中さん:もう、車運転できないぐらい揺れました。

インタビュアー:どうされましたか。

田中さん:車壊れたかと思ったんだけれど、なんかどうも違うよねって車停めて。一回地震おさまってもう一回地震きてるんですよね、あれ。二回に分けてるんで。二回目でやっぱり地震なんだつって、車、脇に止めて様子見てて、大変だななんて思って慌てて家に。まあ、家に帰る途中ではあったんですけど、慌てて家に帰りましたよね。

インタビュアー:周りの様子とかって、何か崩れたりとか。

田中さん:帰り道の道路が崩れてるのはありましたけど。

インタビュアー:そうなんですか。でも、通行はできる。

田中さん:取り敢えずは帰れる状況だったので。

インタビュアー:帰ってどういう風に、何を見られたというか、火災とかそういうのは。

田中さん:火災とかはなくて、棚からものが落ちたりとかそういう備品が落っこったりってのはありましたけれど、牛はケロッとしてました

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:後々気づいたのはあれですよね、押入れの襖がちょっと、多少家歪んだねっていうちょっと開きづらくなったとかね、そういうのはありましたけど、屋根が落ちたとかそういうのはなかったですね。棚から備品が落ちて散らばってましたとかっていうのは、当然、あんだけの揺れなんでそれはある程度想定できた話なんで、いやー、やっぱりひっくり返ってたよねなんて。

インタビュアー:ガラスがバシャーンとかそういうのではないって事ですか。

田中さん:そこまで粉々にね、っていう程ではなかったですけれど。ただ、大騒ぎする程ではないかなって、すごい揺れたのは分かってたんだけどその割には大した事ないねって、牛は大人しくケロッとしてたし。

インタビュアー:そうなんですね。普通に餌食べてたんですか。

田中さん:座ってましたよね。

インタビュアー:座ってたんですね。

田中さん:だから、大した事なくてよかったなっていう感じで。

インタビュアー:電気ってその時は点きましたか。

田中さん:停電してましたよ。

インタビュアー:停電してましたよね。電気止まったら水も止まるっていう風に言われてるんですが。

田中さん:井戸のポンプがね、電気で止まるんで。どうしようなんですけれど、うちはあれです、2つ井戸があって、1つは山手の高いところに井戸1つあるんで、それがポンプ使わずに重力で落としてる方式なので、そこの水については。

インタビュアー:大丈夫だったんですね。

田中さん:そうですね。それ自宅に使ってる井戸なんですけれども、自宅の水っていうのは別に何も問題ないって事です。牛舎のほうがポンプアップ式なんで、それが出なくなったんで、もともと放牧地に使ってた引水があるんですよ。

インタビュアー:山のその。

田中さん:そうですね。放牧地で使ってたの引っ張ってきて、それで牛舎に水は入れて水はずっと飲める状態に。

インタビュアー:当日から飲めた状態だったんですか。

田中さん:そうですね。水はそうやって工夫をちゃんとしたんで。

インタビュアー:引いてきたっていうのはどうやって引いてきたんですか。

[00:25:03]

田中さん:塩ビのホースを。

インタビュアー:繋いで。

田中さん:そうですね。基本的には、うちは畑にした草地は全部放牧地にしたんですよ

インタビュアー:7反でしたっけ。

田中さん:3町歩のうちの2町3と。

インタビュアー:畑のほうですね。

田中さん:うん。

インタビュアー:はいはい。

田中さん:そこに水飲み場っていうのをつくって全員分、引き水でホースちゃんと伸ばしてたんで、それを、水飲み場を動かしてもいいように遊びっていうか余裕を持たしてやってるので。

インタビュアー:ホースはちょっと長かったんですね。

田中さん:そうですね。伸ばしてグルグルって。巻いてるの伸ばして。

インタビュアー:それはすごい。そうですか。牛舎までもそのまま引いてこれて

田中さん:そうですね。うん。

インタビュアー:当時、どうしようって感じられましたよね、どうしよっていうか、あんまりどうしようって感じしないですけど、何を感じてらっしゃいましたか、当時、そういう地震が起きて、次の日原発とかそういう情報っていうのは入ったんですか。

田中さん:入らないですよね。電気通じないんで。

インタビュアー:ああ。

田中さん:っていうことは携帯電話のアンテナ塔も落ちるんですよ。テレビも当然使えないしっていう。なので、牛乳搾んないといけないから、結局、津島行って発電機借りてきたんです。で牛乳搾ったんです。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:だから、夜中の12時ぐらいになっちゃいましたよね、発電機借りてきて牛乳搾り出したのが。

インタビュアー:200ボルトの発電機ですか。

田中さん:そうですね。ちっちゃい発電機じゃ当然動かないんで。

インタビュアー:持ってた方がいたんですね、その発電機。

田中さん:津島は水力発電してるんで停電なんなかったんですよ。

インタビュアー:全然知らなかった。

田中さん:請戸川つったっけ、あの津島の114号の脇の。

インタビュアー:請戸。

田中さん:うん。そこが水力発電所あるので、津島に。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:津島は、おそらく、全域は停電になってないはずです。だから、発電機余ってるんです。

インタビュアー:そうでしたか。

田中さん:飯舘村全域で停電なってるので、村内で使ってる発電機ってのは当然使ってる訳なのでもう借りられないから。

インタビュアー:そうですよね。それは、もう、酪農家さん同士のネットワークで借りてっていう事なんですか。

田中さん:そうですね。付き合いのある津島の人のところ行って、ちょうどあるよっていう話で。借りられたんでよかったなっていう話ですよね。

インタビュアー:搾乳は12時だけどできて。

田中さん:まあ、できましたね。

インタビュアー:乳房炎にもなってないっていう。

田中さん:そうですね。

インタビュアー:原発爆発したとかっていう知らなかったですか。

田中さん:噂話ではね。

インタビュアー:噂ではきてた。

田中さん:どうのこうのっていう風なので。ですけど、30キロも離れてるので、厳密には31キロ、長泥まで。どっちかっていうと、やっぱ、30キロも離れてりゃさつって、他人事みたいなところはありましたよね。それよりも何よりも津波ほうがたまげました。後でテレビ映るようになってあの映像みてビックリしました。浜、海沿いでこんな事起きてたのかっていう。

インタビュアー:いつ頃情報が入るようになったんですか。そのテレビ点いたのいつぐらいなんですか。

田中さん:月曜日です。月曜日の夜6時。これは忘れもしないですけれど。金曜日に震災起きて、金、土、日で月と、月曜日の夕方6時にパッと電気点きだしたんですよ。停電になると電気点けっぱなしにしてるじゃないですか、スイッチとか。だから、一斉に牛舎から、家からバチバチって光点きだしたので。時計フッとみたら6時だったんですよね。

インタビュアー:すごく覚えてらっしゃる、そこを。

田中さん:それはハッキリ覚えてますよね。

インタビュアー:点いたっていう感じで。

田中さん:うん。ああ、よかった、っていう。これで、発電機のお世話にならなくても済むっていう。

インタビュアー:そうですよね。発電機ってすごい重いやつじゃないですか、その大きいのって。

田中さん:重いです。

インタビュアー:どうやって運んだんですか。軽トラとかに乗るんですか。

田中さん:軽トラに乗してきました。

インタビュアー:2人ぐらいで乗るんですか。

田中さん:いやいや、もう、フォークリフトとかそういう重機で積んでもらって。

インタビュアー:そういう重機系は別に問題なく動きますよね。

田中さん:それは別に。

インタビュアー:ガス欠じゃなければ。

田中さん:そうですね。油とかで動くんで。牛乳搾る機械とか、当然、牛舎の電気とかそういうのは、やっぱり、不便はしましたけれども、タイヤショベルとかダンプとかっていうのは別に油さえ切れなければ通常の運転できるので。

[00:30:13]

インタビュアー:他の農家さんで、電気がこなくなっちゃって、その2011年じゃなくて、一昨年か、一昨年の豪雨の時に、トラクターにバキュームカーを付けて搾乳したっていう方いらっしゃって、そういう方法もあるんだって思ったんですけど。

田中さん:色んなやり方は。

インタビュアー:みなさん、必ず何かは持ってるんですね、そういう重機系。

田中さん:そうですね。トラクターはみんな銘々持ってると思うので。

インタビュアー:どういう風に、震災の後、行動されたんですか。牛、取り敢えず大丈夫で、そこから避難しようとかっていう発想はあったですか。

田中さん:いや、避難指示が出ましたからね。

インタビュアー:それは、役場の人が。

田中さん:いや、当然、村長が言って、5月31日までに避難してくださいと、避難しなさいと。期限は5月31日だよっていう。逆の言い方をすれば5月31日までに身綺麗にしなさいって事ですよね。牛は、基本的には、その辺に放り投げる訳にはいかないので、畜主としての責任はあるので半分ぐらいは、酪農組合とかにも手伝ってもらって、半分ぐらいは人手に渡して、半分ぐらいは、やっぱり、屠場に行きました。細かく何頭行ったとか、あの牛がどうなったとかっていうのはいちいち調べてないんですけれども。いや、追えば分かりますよ。ただ、それは意味ないんで、そんな事、未練がましい事やったって何の解決にも繋がらないんで。なので、価値があって他所様に引き取ってもらっても、もう一働きとかね、損はないよねっていう牛は残して、ちょっと年取ってきたりだとか、うちだから上手く飼ってるけれど他所へ行ったらもうダメになっちゃうよねっていう、それは火を見るより明らかだよねっていうようなのなんかはそうやって屠場だとか連れてって。大体は、やっぱ、ランクですよね。自分でランク付けして上位半分ぐらいは上手く生き残って、下位の部分っていうのは、やっぱり、ダメっていうか、そういう感じですね。それを順次処理して、なんだかんだいって、牛舎が空になって、掃除してとかってやってたら5月31日になっちゃったんですけれども、最終日まで、ちょっと、時間がかかっちゃって。最後の子牛1頭、他所の牧場に持ってったのが5月の中頃なんで。そっから、しょうがない、もうここまできたらね、ちゃんと牛舎片付けしてとか。まさかここまで避難続くとは思ってないんで、みんなね。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:早ければ、それは年内とかだろうし、遅くたって2~3年ぐらいでってなるぐらいに思ってたんで。だから、戻ってきた時にスタートダッシュ切れるように、着の身着のままって訳いかないよねっていう。またやって、ごちゃごちゃやってるうちに5月の末までになっちゃったっていう。もう、今更慌てる必要もないしっていう。

インタビュアー:色んな情報を持ってきたのは役場の方なんですか。

田中さん:それは様々ですよ。テレビも点くようになって、ニュース番組も見ますし、取材に来てる記者さんとかジャーナリストの人らからの話も聞きますし、仲間同士の内輪話みたいな感じでもあーでもないこーでもないって当然ありますし。

インタビュアー:結構冷静な感じで。

田中さん:冷静かどうかは分かんないですけどね。ただ、ジタバタしても始まんないのはしょうがないので。なんとかね、牛を生き残らせようっていう風な努力はいくらかはしてたんですけれども、それはジタバタしてたと思うんですけれども。自分自身についてはね、そんなに別に、極度に放射能怖がってる訳でもないですし、なんでもないかどうかは分かんないっていうか、今後どうなるか分かんないですけどね。

[00:35:14]

田中さん:いずれにしても上手く、自分なりにはなんとかかんとか上手く牛を振り分けて。もともとは全部ダメだったんですよ。だから、全部ダメだったところを色々とあの手この手じゃないですけれども、半分ぐらいはそうやって取り敢えず助けてやる事できたんで、ある種、満足感はありましたよね。まあ、よかったんじゃないっていう。そこら辺でちょっと1つ、ホッとしてるところはありましてね、その5月の末っていうか5月に入ってとかね。でも、3月の段階は、やっぱり、カオスというか、変な集まりとかありゃ行って色んなね、情報をはね、ちゃんと仕入れとかないとなんていうのは。あんまり役には立ってないんですけどね、そういえば。

インタビュアー:そうなんですね。でも、全く、3月の時点はどうなるかが分かんないから。

田中さん:うん。分かんないで経産省とか話に来てる訳ですから。

インタビュアー:ああ。

田中さん:うん。

インタビュアー:変な集まりってそういう。そうですね。

田中さん:何月何日に爆弾処理班が来ますみたいな、それでいつ片付けて、それでどうなりますとか、こうなりますって、誰も分かんない訳じゃないですか。ただ状況を説明しにきてるだけなんで、聞いたって聞かなくたって同じなんだよね、今にしたらですよ。

インタビュアー:確かに、そうですね。

田中さん:どうしても出てけっつうんだったら、ちゃんと個別に最後は来る訳ですし。

インタビュアー:確かに、そうですけど。そうですね。

田中さん:だから、今にして思えばあんな話なんかただの与太話でっていう。だからどうしたですよね。

インタビュアー:結構、慌ててっていう感じっていうよりは、ある程度落ち着いて分析してらしたんですかね。

田中さん:そうですね。色々と最悪のシミュレーションとかね、そういうのは、やっぱ、考えながら。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:いや、それは性格的に、僕はどっちかっていうと、こうあればいいなとかっていう楽観的じゃないんで。こうならないためにはどうしたらいいだろっていう、そっちから考えるほうのタイプなので。だから、最悪を考えたら、それよりかはこっちのほうがいいよね、そうならないためにはこうしないといけないんじゃない、とかっていうそういう事は色々と考えておりましたよね

インタビュアー:震災前からそういうなんですね。性格的にも。

田中さん:そうですね。ものの考え方、タイプとしてねっていう。

インタビュアー:それは、リスク管理とかっていいですよね、そういうほうが。

田中さん:ですけど、細かい案件なんかが最悪になるっていう場合もある訳ですから。色々とそういう風な自主管理しても、やっぱ、上手くいかず、結局、最悪の予想通りみたいなのも当然ある訳なので。

インタビュアー:でも、予想通りだとある程度は。

田中さん:覚悟はできてるっていう。

インタビュアー:そうですね。

田中さん:でも、ここの奥底はちょっとした希望っていうのがあるんで。

インタビュアー:そうですね。ちょっとガーンって。

田中さん:やっぱり、ヘコむはヘコむんですよ。

インタビュアー:震災直後の牛の状態は落ち着いて寝てたっていう事ですよね。

田中さん:全部が寝てた訳じゃないですけどね。もう、走り回ってね、大騒ぎしてた訳ではなかったので。あれって感じで、こっちはそんなこなかったのかっていう。

インタビュアー:餌のストックもあったから特に餌は困らなかった。

田中さん:そうですね。向こう1ヶ月分ぐらいの餌はあったんで。

インタビュアー:5月までの餌は。

田中さん:ないない。3月、だから、4月の中頃まではあったんです。

インタビュアー:はい。

田中さん:なんだけれど、そっから先は、もう、餌も手に入れられなくなって、当然、3月12日から牛乳出荷してないんで、日銭、お金が入ってこないって事ですよね。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:うん。なので、やっぱり、無駄遣いはできない訳ですし、比較的早い段階で牛乳は二度と出荷しないよっていう、できないよねっていうかもう来ないよって、牛乳を引き取りには、っていうのは知ってたので、だから、牛乳を出すための餌っていうよりも生命を維持するための餌っていう風にシフトしていったし。

[00:40:01]

インタビュアー:濃厚を減らしてっていう。

田中さん:当然。粗飼料中心っていうので。どんどん、みんな避難していくんで、和牛農家さんとかから要らないロールとか全部片っ端からもらってきて、最後はそういうのやってましたよね。

インタビュアー:ちゃんとストック場所もあったんですもんね、そういう。

田中さん:場所はいくらでもあったので。だし、ちゃんと倉庫もあるんで、それ相応にはストック、偶然してあったんで。

インタビュアー:避難しなきゃって思ったのはその村長の。

田中さん:うん。何月何日だか、ちょっと、覚えてないんですけれども。

インタビュアー:それまでは普通に留まって、牛の世話して。

田中さん:取り敢えずは。表向きつったら変ですけど、取り敢えずはそうやって普通の生活っていうか。ただ、避難指示っていうのが出たんで、期日も決められてるので、更には飯舘の酪農家のグループっていうか酪農部会で、やっぱり、ごねて騒いで足並みが揃わなくなって、てんでバラバラになるよりも、1つの塊としてきちっと酪農組合なり、そういう農協なり交渉していったほうが絶対得だよねっていう風な意思確認をして、それで、そうやって避難指示とか出てる訳だしあんまりやんちゃな事言わずに言うことは聞きましょうと。避難するためにそうやってなんぼかは処分しないといけない牛が出てくる訳で、そういうものを酪農組合なり、なんなり、行政なり協力してよっていう。

インタビュアー:交渉は田中さん達側からやっていったんですか。

田中さん:どっちかっていうと、そうですよね。なんでもかんでも言ってきてる訳じゃなくてっていう。比較的足並みはきちんと揃えれたかな。ただ、順番待ちってのがあるんで、僕なんかは今更慌てる必要はないしって思ってたから、そんなに早くなくたって。当然、もう手持ちの餌が尽きますとかって人は早くしたほうがいい訳だし、余裕あるっていうんだったら後回しにしたっていい訳ですし

インタビュアー:何人ぐらいのグループ。

田中さん:11軒。

インタビュアー:餌がある程度大丈夫だよっていう農家さんは何件ぐらいだったんですか。

田中さん:それは、でも、よく分かんないです。余裕ある農家もあったのも事実ですし、あと頭数規模とかもあるので。

インタビュアー:そうですよね。すごい食べますもんね。

田中さん:うん。いっぱい、うちは頭数飼ってたほうだし、じいちゃんばあちゃんがちょこっと飼ってるようなところはさっさとそれ片付けて避難したほうがいいぞとかってね、娘さんだとか、お孫さんとか心配してるんだっていう風なんだったら早くいったほうがいいっていう、そういう。

インタビュアー:家族の状況もあって。
田中さん:そういうのが色々あるので。

インタビュアー:自宅から牛舎までは敷地内っていう事だったんですけど。

田中さん:15秒ぐらいですね。

インタビュアー:分かりました。そこから農地まではどれくらいですか、距離。放牧地って。

田中さん:20秒ぐらいじゃないですか。

インタビュアー:分かりました。すごい良い環境ですね。放牧地に放牧して時は、引っ張って連れてたんですか。それとも、道をつくって。

田中さん:そうです。電牧はわして、道つくって、それで勝手に行けっていう。

インタビュアー:電牧だったんですね。

田中さん:うん。夜間放牧とかもしてましたし。

インタビュアー:夜間。

田中さん:夜の間だけ放牧するっていう。

インタビュアー:そうなんですね。

田中さん:夏場なんか暑いから。

インタビュアー:確かに。はい。

田中さん:表で、涼しいところでね。

インタビュアー:水は引いてきてたっていう事なんですけど、それを貯める桶自体はあったんですか。

田中さん:そうですね。

インタビュアー:あったんですね。

田中さん:うん。

インタビュアー:何リットル、ポリタンクみたいなやつですか。

田中さん:いや、本当の既存してあるものだとか、FRPの。

インタビュアー:専用のやつ。

田中さん:専用じゃなくって、ホテルとかちょっとしたとこの風呂桶もらってきたりだとか、様々なもの利用して、あんなの当たり前にもの買ってたらお金いくらあっても大変だから。

インタビュアー:そうですよね。それは、全部合わせて何日分ぐらいになるんですか。1日分ぐらいとかですか。ご自宅用の。

田中さん:ん。

インタビュアー:その貯めておく桶っていうのは。

田中さん:そんなの溢れさすだけですよ。だって、引水だもん。水なんてタダなんで。だから、どんどん、ずっと水流しっぱなし。流れた水、溢れてこぼれた水がちゃんと排水溝にいくように。

インタビュアー:つくってたんですね。

田中さん:そうですね。

インタビュアー:それはすごい。ポンプは電動で、エンジンポンプとかはなかったんですか。

田中さん:うん。そういうんじゃなくて電気です。井戸のポンプは普通電気ですよね。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:蛇口ひねればポンプが動くっていう算段ですね。

インタビュアー:すごい良いですね。助け合える仲間の存在ってのは、その11軒の方々っていう感じですかね。

田中さん:一応、建前は。付き合いのないってのはないんで。

インタビュアー:顔見知りだし。

田中さん:そうですよね。

インタビュアー:同じ村内で、やっぱり、村毎にって感じですか。

田中さん:うん。部会ってのはあるんで。飯舘だったら酪農部会っていう風に。だから、一通りはみんなの事知ってる訳ですし。ただ、1から10までベッタリ付き合ってっていうか手伝ってっていう事は、それは各自の経営なので。

インタビュアー:あの時無理だったけど、今考えてもう少しこういうのがあればよかったとか、こうだったらよかったとかなんでも、人でも、サービスでも、行政でも、何かありますか。

田中さん:いや、避難指示にならなきゃよかったのに

インタビュアー:そうですね。

田中さん:なら、牛を別に殺す必要はないですしっていうか、牧場をやめるっていうか休業しなくて済んだしって。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:それだけです

インタビュアー:他の災害あるだろうところの農家の人に伝えたい事は何かありますか。もし、災害が起きた時にこういう風に、何か伝えられる事っていうか。

田中さん:個別の案件だからね、一概には言われないですけれども、どういう災害かも分かんないけれど。

インタビュアー:どういう災害か、本当、分かんないし、何が起きるか分かんない。

[00:05:01]

田中さん:いや、そうなんですよね。リスク管理だよねっていう、リスクマネジメントは、やっぱり、心の奥底っていうかそれなりに考えといたほうがいいよっていう。だから、餌をね、多少の事あってもいいようにちょっと余計にストックするとか。ただね、津波とか大雨つって流されちゃったら意味ないしとかも思うし、だから、一概には言えないですけども、やっぱり、そこの場所場所をちゃんと理解しとくっていうのは。うちなんかは絶対津波だとか洪水の心配はないんですよ。

インタビュアー:洪水もないんですね。

田中さん:だけれど、原発も心配ないと思ってたんですけどね。

インタビュアー:ですよね。

田中さん:目と鼻の先ですつったらやばいんじゃないとかってのはありますけれども、まさかあんな遠いところからさっていう。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:ただ、停電とかはたまにはあるんで。

インタビュアー:震災前にもちょくちょくあったんですか。

田中さん:雷落ちてとかね。

インタビュアー:ああ。

田中さん:でも、それは何時間かで復旧はするんですけどね。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:うん。そういう意味からすると、発電機とかってのはあってもおかしくないよねっていう、年に1回使うかどうかではあるんですけれども備えあればってやつで。だから、その場所場所に応じたそういう風な備えっていうのはしておいたほうがいいんじゃないですかっていう事。なるべく後腐れないように、手持ちの資金とかね、あんまり借金は抱えないほうがいいのかなとか。

インタビュアー:そうですね。起きた当時ってパニックになる人のほうがほとんどだと思うんですけど、起きた時に心がけるとか、ちょっと、頭の片隅に入れる事、事前にリスク管理しておこうっていう、平時の時の心構えは私も持ってほしいなと思うんですけど、起きた時に思ったほうがいい事とかありますか。

田中さん:頭に血上らせない事ってことですよね。やっぱり、カーッとなったりとかね、当然、そういう風なね、大きい出来事起こると精神状態が穏やかではないのはそれはよく分かるんだけれど、でもね、過度にカーッとなったりそうやってアタフタしちゃったりすると何も手につかなくなっちゃったりとかね、上手くいかなくなったりとかあるんで違うところで足元すくわれる可能性あるもんですから。なるべく普段と変わらずにっていう、淡々とっていうのをね。酪農の良いところってそういうところなんですよね。結局、365日同じ事の繰り返しな訳ですよ、基本は。だから、なるべくそういう、ペース崩さないようにしたほうがいいよっていう事は思いますけれど。たら、フッとしたら何か良い知恵が浮かんだりだとかするしっていう。それこそ、こうやって雪とか降った日なんかはね、慌てず、急がずっていう。間に合わない、間に合わないとかってカーッとなったりすると事故を起こしたりとか、信号無視して警察に捕まったりとかロクな事なんねーじゃんっていう。だから、遅れていいんですよ、全然。こんな雪だもん、そりゃね。

インタビュアー:ごめんなさい。本当に。

田中さん:いや、別に構わないです。それはうちの従業員なんかにも言ってる話ですから。そこで慌てて、遅刻になっちゃう、間に合わない、で飛ばして事故でも起こして、車何台も巻き込んで、自己処理から何から、ほとんどそれ1日潰したようなもんじゃん。それぐらいだったら、一声電話だけ掛けてね、ちょっと遅れちゃってね、雪のあれで渋滞に巻き込まれたわ、10分ぐらい遅れるから先に仕事始めててとかって言ったら別に何も問題ないし。悪いななんて思ったら下の自販機で缶コーヒーの1本でも買って後で買ってやりゃいいんだよっていう。やっぱり、そんなもんですよね。

インタビュアー:すごい。誰にでも通じる話で、すごい分かりやすいです。

田中さん:人間生活ですから、所詮。原発事故だろうが、まあ、津波自体は人間の起こすもんではないですけれども、結局、人間の営みに対するどうのっていう話な訳なので。

[00:10:00]

田中さん:答えは、やっぱり、そこにはあるんだと思いますよ。ただね、一瞬で命失う人とかもいるんで、なんでもかんでも冷静にもいられないのもよく分かるんですけれども。

インタビュアー:そうでない場合には冷静に。

田中さん:そうですよね。冷静じゃなくてもいいけれど、過度にカーッとなったりしない。頭に血上るとロクな事なんないですからね、大概

インタビュアー:分かりました。ありがとうございます。今後はどういう風にされますかっていうのと、あと、後輩っていうか未来の人達に伝えたい事。

田中さん:今後はっていうのは、この僕の事業っていう意味ですか、それとも私の。

インタビュアー:人生。

田中さん:私の人生ですか。

インタビュアー:差し支えない範囲で。

田中さん:戻るっていう選択も、10年経っちゃってるので、あの時の自分と今の自分てのが、当然、違う訳だし、まだ戻れる訳ではないので、戻れるあかつきになったら、ちょっと、本当、腕組んで、今の情勢っていうかね、ご時世も踏まえた上で腕組んでよう考えるわいっていう。なので、未定っていえば未定ですよね。別に、今決めて何か行動しないといけない訳ではないので、ただ、色んな選択肢あるねっていう、少しずつは何かしら考えていかないといけないかなとは思いますけれども。だから、もう、絶対こうするよとは言い切れないよね。明日、もしかしたらガンを告知されるかも分からない訳ですし、交通事故にあうかもしんないし。

インタビュアー:本当にリスクマネジメントっていうか、意識がそうですね。

田中さん:だから、安易に、ああしますこうしますなんて事は言われないところはありますよね。ただ、熨斗つけてきちんと戻せよとは思ってますけれど。それで戻るとか戻んないとか、何するとかしないとかってのは僕自身の問題なんで。

インタビュアー:そうですよね。

田中さん:うん。だから、まずは戻れるようにだけはしろと。そっから先は、スッと座って腕組んでじっくり考えっかっていう。

インタビュアー:まず、そっち早くしてくださいっていう事ですね。

田中さん:まずは。早くっていうか、建屋とかは壊してもらったんですよ。これから除染がどうのとかって言いますけど、その工程そのものは、私、あんまり興味はないんで、いずれにしても、上手い事やってよっていう、まずはねっていう。これからの人っていうとどの辺のこれからなんですかね。その辺の中学生に対してって意味ですか、それとも。

インタビュアー:その辺の中学生でもいいですし、100年後の人でもいいですよ。こういう事って世界でもなかなかない事で、そういう方がどういう風に感じられて、どういう風に未来の人達に、何か伝えたい事。

田中さん:未来の事だからなんとも言えないけれど、いずれにしても、酪農のみならず、それぞれみんなの人生なんですよ、その人その人の人生なんですよね。なので、自分の人生が豊かにっていうんですかね、納得できるように、いつの日か死んじゃう訳ですけど、僕もね、トータルとしたら良かったんじゃないとかって思えれば、やっぱり、いいんじゃないのっていう。僕、だから、それで酪農っていう道を選んでる訳ですし、中に他の、プロ野球選手とか色んな職業も、色んな人生ある訳ですけれども、悔いないようにっていうか自分が納得できるようなそういう人生を送ってくれればいいんじゃないっていう。そのためには色々悩んだりだとか、チャレンジしたりだとか、自分がそうやって思いたいってこういう風な生き方しようっていうか、こういう職業に就こうとかって思った時になるべく軸足がブレないように、三日三月三年じゃないですけれども、ちょっとかじっただけでできるようなフリしたりだとか、いきなり諦めてこれやめたとかつって、結局、この10年僕は一体何してたんだろとかっていう風なのは送りたくないよねっていう。震災起きてから今日という日まで、逆に、あなた10年間一体何してたのって言われたかないんですよね。

[00:15:22]

インタビュアー:誰も言わないと思いますけど。

田中さん:いやいや。そうやって言われるような人も中にいるかも分からない。結局何してたのって。被災者面してパチンコ行って遊び回ってて、金があるとかねーとか、こういう風になってきて泣き言言ってたりして、本当、10年間何考えてたのっていう。0歳の子供が10歳になってんですよ、10歳、小学校4年生ですよという。10歳の子は20歳という。小学校4年生の子はもう成人式なんですよっていう。

インタビュアー:そうですね。

田中さん:それで東大の法学部行ってるやつだっているわけですよという。そうやって思い思いみんなやってる訳ですよね。そこでブラブラしてるやつはブラブラしてる訳だし。まあ、そんなにはいないとは思いますけれどね。やっぱり、そういう人生は送りたくないしっていう。僕は酪農を志して福島に入職した、飯舘に入職したって話で。ただ、そこではできない訳ですよね、避難しちゃってて。それでスパッとやーめたっていうのは、やっぱり、自分の心の中では、まだこの酪農という仕事に就いて、もうやり尽くしました、お腹いっぱいです、とは思ってないし、まだやり残した事あるよねっていう。本当はそこでやらないと本当の満足感はないんですけれども、やっぱり、限られたそういう選択肢の中で自分の志したものというのに軸足を置きながら、その中でこの限られた選択肢のどれがチョイスできるのかっていう。今、そういうのは考えてて、それは、すなわち、最終的には自分がそうやってチャレンジしたり思い持ってやってきた事を、歪なりにも何かそういう風な方向で行って自分の人生を豊かに生きたいって事ですよね、結局は、言葉にすれば。なので、色んな職業あるけどみんな銘々、やっぱり、そういう風な、自分の人生だもんよっていう、人に迷惑かけない程度に楽しく充実したそういう人生を送ってみてはどうでしょうとか。僕は、自分にそういう風な生き方したいと思って生きてます。正しいかどうかはしんないけれどっていう。

インタビュアー:ありがとうございます。すごい、良いVTRが撮れまして。

田中さん:いやあ、良いかどうか分かんないですけれども。

インタビュアー:すごい。ありがとうございます。

田中さん:でもね、色んな職業ありますからね。好きだ好きだつってね、肩叩かれてんの毎年プロ野球の入団テスト受けてるやつとかそういうのも何かちょっと哀れだよねって感じで。諦めろとかつってね。みんながみんなイチローだとか、大谷翔平とかみたいな訳にはいかないんだよっていう感じで。ああいう能力が、才能がものを言う仕事っていうのは、またちょっと別口だけどっていう、芸能人とかね。

インタビュアー:すごく別口の。

田中さん:普通の一般的なね。酪農とかね。酪農でも、養豚でも、養鶏でも、肥育だとかね、和牛の繁殖でもなんでもいいですよ、別に。農業のみならずね、みんな銘々ね、志したもの頑張ってもらえばそれでいいんじゃねっていう。それだけです。

インタビュアー:ありがとうございます。

田中さん:それだけですよ。

インタビュアー:大事なのは、ちゃんと悩む事とチャレンジする事

田中さん:そうですね。やらない事には始まらないですもんね。取らぬ狸の皮算用じゃないですけど。宝くじも、買わなきゃって事です。人工授精も種付しなければとまらない、受胎しない

インタビュアー:それはそうですね。

田中さん:だから、まずはやってみなくちゃっていう

インタビュアー:ありがとうございます。

田中さん:できるできないはまた次の話で。

インタビュアー:ありがとうございます。さすが田中さんって感じします。

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