吉田睦美さん・和浩さん夫妻(川内村・避難指示解除準備区域)33歳・49歳

吉田夫妻短縮版

①種:繁殖 

②頭数:羊5頭(オス:1、メス:4)+ヤギ(オス:1、メス:2)

③電気:発電機(あの時は無かった。が、今はガソリン式4機を常備)

④水道:沢水を引いてきていたため、問題なく、必要十分量が確保できていた。水を貯める桶はあった。揚水ポンプは必要なかった。

⑤エサ:2~3日に一回(あとは隣の牛農家から分けてもらった。+周囲に雑草がいっぱいあったので、それを食べていた。

⑥当時の餌やり通った頻度:2018年まで2~3日に一度。通い続けた。

⑦震災当時の状況把握:防災無線聞き取れず。携帯不通。偶然知った。「逃げて下さい。川内村に避難してください。」とローソンの駐車場で東電関係者のバスに言われ、原発から18キロの距離にある川内村の実家へ避難、留まった。運転免許無かった。

⑧放牧:農地は2反。ヤギと羊達は自宅の隣の農地にいて雑草を食べていたから生きていた。パレットで作った放牧場あり。ヤギと羊は電気牧柵はダメなので、電気牧柵は不要。本当は避難先があればよかった。

⑨移動:1~2時間でパレットで軽トラに移送枠を作れる。載せるだけ。普段のお世話で信頼関係はあったため、ヒツジとヤギの回収はすぐできた。

⑩金言:「災害があった時に頼れるネットワークを作っておくこと。他県と、地元で。避難所と家畜車の。」「備えること」「逆境に負けない力」「難しいものにチャレンジすっから面白いんですよ。」「福島県は逆境感が笑っちゃうほど、突き抜けすぎていて、やるしかない。」「楽しむ。あとは常にチャレンジ」「やるからには、一番」

インタビュアーA:ありがとうございます。順番、ちょっと、この順で聞いてっちゃうんですけど、避難先の自治体はどちらでしたでしょうか。色々決めたと思うので、震災の後に何日とか、何週間かとか、何ヶ月程度みたいな事を聞いていきたいなと。避難先は、差し支えない範囲で教えてください。

女性:はい。

男性:まず、震災後、ビッグパレットに。

インタビュアーA:郡山ですね。

男性:そうです。郡山のビッグパレットに避難して、そこに1ヶ月ぐらい。

インタビュアーA:震災後何日ぐらいで、当日ですか。

男性:行ったのは次の日に一回行って、ただ、犬が浪江にいたり車があったりしたんで行ったり来たりみたいな形にはなったんですけど。

インタビュアーA:すいません。事故は起きてからの事なので、ちょっとストーリー的なので。

男性:そうか。事故当日は。

インタビュアーA:地震。

男性:地震ね。地震が起きた時には、私は福島県にいなかったんですよ。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:栃木県の川治温泉っていうところのほうに仕事があってそっちに行っていて、その11日に仕事が終わったら戻って、次の日から、12日から富岡町のほうに仕事が入っていてそれに戻ってくる予定ではあったんですけど。地震の次の日の朝に、富岡のローソンがあるんですけど、そこに朝の5時ちょっと前ぐらいかなに着いて、そん時に大型バスが、防護服着たのが乗ったバスがそのローソンの近くまで来て、なんですかつったら、放射能が漏れてるので逃げてくださいみたいな話になって。

[00:05:04]

インタビュアーA:それはバスの運転手が言ってたんですか。

男性:運転手じゃなくてバスから下りてきた東京電力の人達。

インタビュアーA:そうなんですね。情報はそこで把握された。

男性:そうそう。

インタビュアーA:携帯は、その時は持ってらっしゃったんですか。

男性:うん。携帯は持ってました。ただ、携帯も繋がんない状態だったのでずっと。

インタビュアーA:情報はそこで初めて。

男性:そうそう。

インタビュアーA:町内放送で情報は流れてた。

男性:じゃなかったですね。妻もローソンで勤めていたので、富岡町の、そこに震災の日の夜片付けに。

インタビュアーA:11日ですね。

男性:そうそう。11日の夜に自宅から移動していて、朝の5時ちょっと前に合流したっつう漢字ですね、そのローソンのところで。そんで避難して、放射能が漏れてるからっていう話を聞いたので、川内村の道路がどうなってるか状況分かんなかったので、取り敢えず、1人で実家のほうの川内村のほうに上っていって。上っていったら道路も大丈夫、川内村の場合は、電気も電話も全て大丈夫だったんですよ。ところが、その放射能のあれで逃げてくださいっていうあれがあったので、また下におりて。下におりたら、今度、もうそっから行かないでくださいって、これから避難する人達は多く来るんで。

インタビュアーA:行かないでくださいってどこに行かないでくださいって。

男性:その富岡町とかそっちのほうに。

インタビュアーA:はいはい。

男性:はい。これ以上は行かないでくださいっていう事で、取り敢えず、川内村のほうに避難してくださいっていうあれだったので、2人で、今度、川内の実家のほうに上っていってそこで情報収集をする形になって。

インタビュアーA:どういう形で情報収集を。

男性:いや、テレビとかそういうのも。

インタビュアーA:映ってましたか。

男性:そう。川内村の場合は、電話も電気も大丈夫だったので。

インタビュアーA:水ももちろん。

男性:そうです。

インタビュアーA:問題なく。

男性:はい。

インタビュアーA:川内村のご実家は先ほどお聞きした住所。

男性:そうです。貝ノ坂っていうとこなんですけど。

インタビュアーA:ここは原発から何キロとか分かりますか。

男性:大体18キロぐらいかな。

インタビュアーA:ほぼほぼあれですね。

男性:はい。

インタビュアーA:そこで留まってて。

男性:留まっていたんですけど、富岡の人達が川内に移動してくるっていう、避難してくるっていうあれがあったので、うちの弟夫婦が富岡に住んでたので、ただ、弟が栃木のほうの仕事をしていたので、奥さんしか富岡残ってなくてそれを迎えに行こうとしたら行かないでくださいって言われて、みんな、バスとかあれで川内村に避難させますからっていう事だったんだけど、その避難場所、体育館とか、集会所とか、そこをどこ探してもいないんですよ、そしたら、ある一定の人達は、田村市とか郡山のほうにバスで移動したっていう話になって、今度、田村市とか郡山とかのその富岡の人達が避難した場所も探しに行って、弟のお嫁さんを。それで1日、2日ぐらいずっと。

インタビュアーA:そうなんですか。

男性:そんな感じだと。

女性:2日間だっけ。

男性:2日間かかったんだよね。

女性:どこにもいないんですよ。

インタビュアーA:目で見て探すみたいな。

男性:いや、名簿にこの人がここに避難してますよっていうのがあるんですよ。その名簿をずっと見て、でも、どこにもなくて。

インタビュアーA:どうやって見つけたんですか。

男性:結局、避難してなかったんですよ。

女性:まだ富岡にいた。

男性:富岡にいたって。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そう。

インタビュアーA:ご年齢とかって高めっておっしゃってましたっけ。

男性:いやいや。あの頃、まだ40。

インタビュアーA:そうなんですね。情報とかあんまりなかったんですか。

男性:防災無線とかで何かは言ってるようなんだけど、聞こえなかったのと、車の免許とか持ってなかったので、隣の夫婦の人が避難する時に乗っけていってくれるっていう話をしてたらしいんですよ。ところが、その若いご夫婦がなかなか避難をせず。留まっていたので。

インタビュアーA:ご自身のお家で留まってたと。

[00:10:02]

男性:そうそう。

インタビュアーA:富岡のどの辺り。

男性:夜ノ森ですね。

インタビュアーA:それ見つけて一緒に来られたんですか、川内村に。

男性:いや、見つけたんじゃなくて、その若いご夫婦に乗っけられて実家に、川内村のその貝ノ坂の実家まで乗っけてきてもらって降ろしてもらったんだけど、もうみんな避難していない訳ですよ。母もいないし、うちはもうこっちで探してるし。

インタビュアーA:お母様も避難されて。

男性:そうそう。

女性:母は車の免許がないので、隣のおじさんと、11の日だよね。

男性:11の日に。

女性:いきなり、いなくなっちゃってる。

男性:そう。避難しちゃってたので。弟の奥さんが実家に来ても誰もいない、どうしようってなった時に、たまたま、隣のおじさんが戻ってきてたんですね、その人が乗っけて避難、一緒に避難したっつう感じですね。

インタビュアーA:地震があった時の、すごい揺れだったと思うんですけど、まず、揺れの中でどういう風に感じられた感じなんですか。

女性:地震で。揺れがすごく強くて、私はその時働いていたのが夜勤だったので寝てたんですよね、その3時ちょっと前は。寝てて地震だなと思ってちょっと起き上がろうかなと思ったら、あまりに揺れがひどくてベッドから起き上がれなかったんですよ。

インタビュアーA:はい。

女性:その後、テレビを見て津波がくるとかこないとかっていう予報はあったんですけれども。

インタビュアーA:テレビはその時点いてたんですか。

女性:はい。私の住んでいた浪江町も電気は使えたし。お水はちょっと出なかったですね。

インタビュアーA:そうなんですね。

女性:はい。

インタビュアーA:浪江町、電気きてたんですね。

女性:きてました。電気止まってたのが、やっぱ、双葉と大隈は。勤務先が富岡町だったので、浪江からすごく混んでいて道路もズタズタでやっと通れるぐらいの感じで、いつも30分の道を2時間かかって富岡町まで行ったんですけれども。その間、やっぱ、電気が消えてるのは双葉、大熊、あとは富岡町の働いてるところも電気は使えなかったです、真っ暗になって。

インタビュアーA:同じ町でもきてないんですね。

女性:はい。

インタビュアーA:そのバスの方が放射能が漏れてるかもしれないみたいに聞くまでは全くその情報っていうのは、地震があったっていう事ぐらいしか。

女性:そうですね。浪江町にいたら何か分かったかもしれないんですけれども、私が家を出た時にその津波警報がテレビに映っているっていうのは見たんですけど、あまり信じてなかったというか、それよりも、今日、仕事だからお店を片付けないといけないっていう。

インタビュアーA:確かに、ものいっぱい落ちてそうですけども。

女性:そうなんですよ。行って、電気も使えないし、取り敢えず片付けて。その間はラジオとかは全然聞けなかったので、何がどうなってるのかは分からないまま、仕事に邁進し。

インタビュアーA:原発も放射能が漏れてるみたいにバスで聞いた時はどういう感覚なんでしょうか。逃げなきゃみたいな感じなんですか。

男性:まず、異様な風景ですよね。だって、バスが急に大型バスが来て、そこからタイベックスーツにマスクしたあれが降りてくる訳だから。東電のバスだったので、うち東京電力で仕事してんだけど何かあったのって聞いたら、今放射能が漏れてるので危ないので避難してくださいみたいな話だったので。だけど、何がだよね。だって、結局、俺は地元にいなかったので何が起きてて、栃木でも結構揺れたけど、そんなつもり、こと惨状なってるっていう認識がなかったから。うちもその日は仕事っていう、東京電力の仕事っていう位置づけで帰ってきてる訳だから何がっていう感じだったんだけど、戻ってあれしたら放射能が漏れてるとか、隣のおじさん家の息子さんが東京電力の管理グループに勤めてて、もう300キロ避難しろみたいなそういう情報とかもあったので。

[00:15:11]

インタビュアーA:300キロ。

男性:うん。福島は無理だから、もう300キロ以上、放射能の危険のないあれまで避難しないとダメだよみたいな話がその時から、もう。

インタビュアーA:その方からあった。

男性:そうそう。

インタビュアーA:その時に怖いなみたいな感覚とかったんですか。

男性:怖いっていうよりも逃げなきゃじゃない。

インタビュアーA:ああ。

男性:うん。もうやばいからとにかく遠くに逃げなきゃなんないだろっていう。

インタビュアーA:●(00:15:46)。

男性:そうそう。情報でいくと10キロ圏内だったんですよ、テレビとかから避難の。

インタビュアーA:最初はそうでしたよね。

男性:だから、川内村はまだ大丈夫なのかなっていう、その頃は。ところが爆発したってなって、じゃあ、ここもダメだ、郡山までみんな避難するっていう形になったっていうあれなんで。

インタビュアーA:その最初の頃は、特に、動物とか、ヤギとか、羊とかどういう状況だったとかっていうのはあまり分からないですか。

男性:うん。

インタビュアーA:いなかったんですよね。地震の時は栃木にいらっしゃって。

男性:そうそう。

インタビュアーA:その時にどんな風な反応してたか。

男性:それは全然分からない。

インタビュアーA:ヤギと羊はどなたが。

男性:うちの父親が。

インタビュアーA:お父様が飼ってて。

男性:そうそう。震災の年に他界したんですよ。その時に、警戒区域になったじゃないですか、その警戒区域から出す時も、出すっていうか本当は移動させようとしてたんですよ、国にあれしたらヤギと羊はペットなのか畜産動物なのかってそこで色々ね。

インタビュアーA:それって今まで決まってなかったんですか。

男性:そうそう。

インタビュアーA:それ何月ぐらいですか。

男性:それ4月の22日、警戒区域になる前後ぐらいですね。その間は準備してて、本当は知り合いの山形のほうに移動させようとしてたんですけど、結局、放射能がどうのこうのってなって、山形のその方はOKだったんだけども、その自治体のほうでそれはやめてくれっていう話になって移動ができなくなったっていう感じですね。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:うん。

インタビュアーA:川内村で飼う分には水もあったし、電気もあったし、餌もあったんですか。

女性:餌は買っていたので、在庫がなくなれば。

インタビュアーA:そうですよね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:在庫はどれくらいの日数分まであったんですか。

男性:2~3日ぐらいしか残ってねんじゃないかな、多分、あっても。だから、結局、通って餌やりをとか、隣の人が今日は、警戒区域になる前は、隣の牛飼ってたりするんで、じゃあ、うち行くからついでに一緒に餌あげるよっていう形で4月の22日、警戒区域になるまではみんなそんな感じでやってたって感じ。

インタビュアーA:あげてたのは草ですか。

男性:草ですね。

インタビュアーA:避難先から通って餌やりしてた時の草はどこで調達されたんですか。

男性:それは、例えば、隣の家で牛を飼ってる人はその牛の餌をうちのやつに分けてくれたりっていう形で。やっておいたからねって連絡がきてっていう感じだったんですよね。

インタビュアーA:隣の方は避難しなかったんですか。

男性:え。

インタビュアーA:その隣の方は。

男性:いやいや。だから、避難先から。田村市とかに避難した。行き来して。

インタビュアーA:なるほど。

男性:最初のこの4月22日になる前は、うちだけじゃなくて他の畜産農家さん達も結構通って餌をやってた人達は多かったんですよね。結局、警戒区域になってもう餌やりができないってなる時にみんなこう柵をあれして放したとか、そのまま諦めて出ちゃったみたいな人も多かったと思うんですけど。

[00:20:07]

男性:ただ、うちの場合はたまたま東京電力の仕事をしてたので、仕事をしていたのと復旧工事をお願いされた時に通行証って、警戒区域になっても20キロ圏内に入れる通行証が発行されたんですよ、それで中に入る事ができたんで、仕事の朝とか帰りとかそういう時に餌やりができたからまだ他の人達よりはよかったのかな。

インタビュアーA:その時はどういう気持だったんですか。避難先から通って復旧作業も従事されながら朝とか夕方、ヤギと羊のところ行って。そもそもそれって何頭飼ってたんですか。

男性:その頃は羊が5のヤギが3ぐらい。

インタビュアーA:それぞれ大人ですか。

男性:そうです。

インタビュアーA:羊がメスですか。

男性:オス1のメス4。ヤギがオス1のメス2か。

インタビュアーA:どういう状態の経営だったんですか、当時。

男性:どういう経営っていうか、ほとんど、変な話で言ったら父がボケ防止の趣味で飼ったみたいなのがあるんですけど、ただ、福島には年に1回羊とかヤギの競り場があったので、そこに出して羊を売ってっていう形にやってた感じなんですけど。

インタビュアーA:繁殖農家っていうよりは何の農家に。

女性:繁殖農家ですよね。

男性:繁殖だよね。そうだね。

インタビュアーA:飼ってたところは農地で飼ってたんですか。

男性:農地です。

インタビュアーA:農地の広さっていうのは。

男性:あそこどのぐらい。

女性:1反、2反ぐらいか。

男性:2反ぐらいかね。

女性:2反ぐらい。

インタビュアーA:そこに柵とかあったんですか。

男性:小屋と柵があって運動させてっていう感じ。

インタビュアーA:水は水道からだったんですか。

男性:いや、水は、やっぱり、引いてきたやつ、山から。

インタビュアーA:それ以前では困らなかったですか。

男性:そうそう。水に関してはね。

インタビュアーA:川内村は川内村で、大熊の都路、古道上屋敷のほうも川内と同じ電力に。

男性:そうです。

インタビュアーA:お父様とかはどんな感じだったんですか。ヤギと羊とかは。お父様もお母様も避難されたんですよね。

男性:うん。

インタビュアーA:息子さんに託されたみたいな感じなんですか。

男性:っていうか、震災の1ヶ月前に父は郡山の病院に入院してたので。だから、震災後、羊がどうのこうのとかじゃなくて。ここ警戒区域になるよって、じゃあ、それを移動するよっていうのを話をして、今度、警戒区域になりました、殺処分決まりましたでどうするよっていう話をして、そしたら、良い羊を育てて、結局、チャンピオンとかそういうのを育ててたので殺したくないっていう話をして、変な話で言うと、余命何ヶ月ってうちらも分かっていたので、殺処分したってなくて、それを生かしてほしいっていうのがあったので、それを継続してやっていくべっていう感じでね。

[00:25:00]

男性:動いてたら、やっぱり、殺したくないっていう他の羊農家さん、ペット飼ってた人とか、ヤギの飼ってた人達がうちのも面倒見てくれませんかっていう形になってで川内村に集結したみたいな。

インタビュアーA:羊とヤギも受け入れた訳ですか。

男性:そうです。だから、うちのが全部8頭だったんで、最終的に24頭だから。

インタビュアーA:すごい。3倍以上。

男性:そうそう。

インタビュアーA:その預けられた方々はどこの町に。

男性:大熊町と、富岡町と、楢葉町。

インタビュアーA:ミツマさんっていう方。

女性:ミツマさん。

男性:ミツマさんと、あとは富岡のホリモトさんと、あと楢葉はなんだ。

女性:ヨコタさん。

男性:ヨコタさんか。

インタビュアーA:これ、移動は軽トラなのに乗せていかれたんですか。

男性:そうそう。

インタビュアーA:それぞれの畜主さんが持ってきたんですか。それとも取りに。

男性:取りに。

女性:取りに行ってるんです。

男性:捕まえてって言われて。

インタビュアーA:捕まえられましたか、その知らない人って。

女性:なんとかなんとか。やっぱり、人に飼われていたもんだったんで、あとは小屋の中に追い込んだりして。イッて取って。

インタビュアーA:このロープみたいなので。

女性:はい。

インタビュアーA:チャンピオン羊を育てていたって聞いたんですけど、何かそういうお父様の羊への思いっていうか。

男性:羊も血統書ってあるんですよ。血統の良い羊を育てたいっていうのがあって。

女性:3人だけだったら中入る。

インタビュアーA:繁殖とか、羊のとか何かあったんですか。チャンピオン取った事あるんですか。

男性:1等、2等、3等まであって、1番は、メスの1等賞だと県知事賞とかトロフィーがもらえるんですよ。

インタビュアーA:そうなんですね。

女性:父はそのトロフィーがほしかったんですね。

男性:どうしても。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そう。

インタビュアーA:取れたんですか、そのトロフィーは。

女性:一番最後に取れました。

インタビュアーA:すごい。

男性:震災の前の年に。

インタビュアーA:そうなんですね。震災の前の年にチャンピオンが取れたんですかね。

[00:30:03]

男性:そうそう。それまでは。

インタビュアーA:ちょっと待ってくださいね。

男性:はい。

インタビュアーA:バッテリーがずれました、今。

女性:温かい。温かいじゃない、寒くない。

インタビュアーA:なんかすごい温かく。

男性:点けた。

女性:点けたよ。あれかな。

男性:違う違う。そこの切になってね。

女性:切とかないよ。

男性:違う違う、ここの上ポコッとあるじゃん。

女性:こっち。

男性:うん。それ。そこに。

女性:入になってるよ。

男性:入になってる。じゃあ、これから温かいようになる。なってきた、なってきてる。大丈夫

インタビュアーA:すいません。逆光で真っ暗で、入れ替わっていただいてもいいですか。

男性:チェンジ。

インタビュアーA:すいません。

男性:大丈夫です。

インタビュアーA:折角座ったんですけど、ごめんなさい。

男性:大丈夫です。チェンジで。そっか、これがあってもダメだったか。

インタビュアーA:すいません。真っ暗になっちゃってて。

男性:はい。移動。

女性:これ少し捨てたほうがいいと思うんだけど。なんでこんな。

男性:取り敢えず、全部持ってきたんだよ。

インタビュアーA:はい。すごい見えます。

男性:はい。

インタビュアーA:できればちょっとくっついて座っていただけたら。

男性:もうちょっとそっち。いいか。

女性:もういけない。

インタビュアーA:1年前に1等ですね。チャンピオンというのは。

女性:はい。

男性:そう。

インタビュアーA:すごい。福島県の中の1等ですもんね。

男性:福島県っていうか、でも、他かからも羊は来てたかな、宮城とか。

インタビュアーA:そうなんですか。

男性:要は、日本で唯一の羊、ヤギの競り場が福島しかなかったので。そうなんですよ。

インタビュアーA:そうなんですね。すごいじゃないですか。

男性:そうそう。

インタビュアーA:すごいですね。

男性:福島にしかなかったんです、そういう競り。北海道とかはそういう競りじゃなくてお肉とか、あとは個人売買なので。

インタビュアーA:じゃあ、全国で、一応、一位みたいなものですね。

男性:そうです。

インタビュアーA:お父様すごいですね。

男性:うん。

インタビュアーA:今もそういうのあるんですか、福島に。

男性:いや、だから、震災でそれもなくなっちゃったんです。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そう。

女性:復活できてないですね。

男性:それを復活したいって言ったら鼻で笑われた。無理無理って。

インタビュアーA:誰に。

女性:JAの人。

男性:JAとか全農。もう無理だよそんなのはって。だって、やってんの吉田さんだけぐらいのもんでしょって。

女性:おお。

男性:くそーつってな。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:いつからヤギ、羊を始めたかってそのお父様の話とかもちょっとお聞きしたいんですけど、ご存知の範囲内で。

女性:羊に関しては、平成16年に導入したという領収書がありまして。

インタビュアーA:覚えてんですか、ちゃんと。

女性:それが出てきたんですよ。その領収書を元に羊の賠償が行われたので、牛と、豚と、鶏は最初っから賠償の算定額が出てたんですけど、羊とかヤギに関しては値段が分からないっていう事なんで。

インタビュアーA:領収書が必要だったんですね。

男性:領収書が必要だったんよね。

女性:そうなんです。という訳なんで、導入はその辺りです。

インタビュアーA:それは何頭とかありますか。

男性:多分、最初、4頭だったと思う。

インタビュアーA:4頭。

女性:うん。ヤギは父がもらってきた。

インタビュアーA:オスだったんですか、そしたら。

男性:いや、メス。

女性:孕みのメス。

男性:とオス。母に怒られるんでこっそり連れてきて隠して飼ってた。

[00:35:02]

インタビュアーA:隠して飼えるものなんですね。お母様はあんまりそういうの嫌だったんですか。怒られるって。

男性:結局、餌やったり面倒見んのが母親になるので。嫌とか嫌いじゃなくて最終的に、定年退職してボケないように、じゃあ、羊、動物好きだから飼おうってなったんですけど、結局、仕事が好きな人で定年退職した会社から応援要請とかくるとすぐ行っちゃうんですよね、仕事に。

インタビュアーA:なるほど。

男性:結局、餌やりが母親になると。

インタビュアーA:羊に関してはお母様は渋々世話して、ヤギについては後で発見して。

男性:そうそう。

インタビュアーA:ウワッてなったんですかね。

男性:そうそう。ヤギがいるとかウサギがいるとかね。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:うん。

女性:ハト、みたいな。

男性:今度はハトかみたいな感じで。

インタビュアーA:ハト。

女性:ハトも。

インタビュアーA:すごいですね。じゃあ、お母様が頑張った感じだったんですね。

女性:そうですね。

男性:どちらかというとね。

インタビュアーA:分かりました。何かそのストーリー的なものって覚えてるエピソードとかありますか。エピソードっていうか、ストーリーっていうか、そういう、お父様が飼ってヤギと羊のそのチャンピオン取るために何か頑張りましたみたいな。

男性:頑張ったというよりも、やっぱ、良い羊を、羊を長年やってた人に教わりながら引くとかそういうのも含めてやってたんで。

インタビュアーA:はい。

女性:あとは、餌代を惜しまない。

男性:そう。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:餌とかそういうものにも惜しまないでお金をかけて。だから赤字ですよね。

インタビュアーA:餌はどこから。JAから買ってたみたいな感じですかね。

男性:そうですね。

女性:餌は当時から乳牛用のカロリーの高いルーサンを買ってきて。

インタビュアーA:あの豆が入ってる。

男性:そうそう。

女性:そうです。従来の羊農家さんは、やっぱり、畦草とか、あと牛と同じ稲わらにちょっと糠を入れたりおからを入れたりっていうエコな買い方だったので、肉付きもそんなに生後半年ぐらいだと大して40キロが関の山のところを、うちの父は、やっぱ、働いてるんで資金はいっぱい羊につぎ込んで、その競りの平均体重が40キロぐらいなのに対してその父が出す羊は。

男性:80とか70キロぐらいある。

女性:違う違う。60。

男性:あ、60か。

インタビュアーA:そんなに。

女性:60キロ、50キロ。

インタビュアーA:それ、メタボみたいな感じなんですか。

女性:うーん。

男性:じゃなくて。

インタビュアーA:普通に肉付きが良い。

男性:そう。

女性:肉付きが。

男性:大きくなるんで骨も太くなるし。

インタビュアーA:骨も太いんですね。

男性:そう。リンゴとか、ニンジンとかも食べさしてたんですけど、普通だったら傷ついたリンゴとかそういうものをもらってきて食べさせるとかじゃなくて、人間が食べておいしいリンゴを買ってきてそれを刻んで食べさせたりしてたんで。

インタビュアーA:すごい贅沢といえば贅沢はさせてたんですね。

男性:そう。贅沢羊。

インタビュアーA:規格外とかじゃないんですね。

女性:規格外でいいと思うんですけどね。

インタビュアーA:十分ですよねって思っちゃうけど。すごいですね。

男性:スーパーで安く売ってたからみたいな言うんだけど、いや、それ人間が食うやつだからみたいな感じだからね。

インタビュアーA:普通はヤギと羊も稲わらにそういうのだったんですね。

女性:糠とか濃厚飼料と言われる栄養価が高くてちょっと使いにくいようなものをあげて、餌代をかけないように、牛とか畑作とかの余剰というか複合経営という形に羊が入っていたという。

インタビュアーA:それが普通だったけど、お父様は違ったって事ですよね。

女性:トロフィーを取るために。

インタビュアーA:なるほど。

[00:40:00]

男性:でも、ブロッコリーの葉っぱっていうかああいうのはもらってきたり、あと、やっぱり、そういう乾草とかじゃダメだから葛の葉とか、あと桑の葉っぱとか。

インタビュアーA:大好きですよね、多分。

男性:そういうのは一緒に混ぜて食べさせないと、ただ単純に栄養の良いものだけを食べさせても、やっぱ、体がダメだっていうので、そういうのも。

インタビュアーA:すごい考えてやっていらっしゃった訳ですね。

男性:そうそう。良い羊をつくるっていう。

インタビュアーA:なるほど。本当に取れたんですもんね、賞がね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:それすごいです。

男性:オスは3年続けて1等賞もらってたんですけど、トロフィーがもらえるのはメスなんです。の1等賞なんです。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そう。どうしてもメスのね、1等賞がほしかったので。

インタビュアーA:念願叶った時は感動みたいな感じだったんですか、お父様は。

男性:どうだった。

女性:いやー、機嫌良かったですよ。

インタビュアーA:そうですよね。だって、そのためにやってるんですもんね。

男性:まあね。

インタビュアーA:そこで大変だった事ってあるんですか。お父様がそういう事やってて、幸せだった事はチャンピオンになれたっていう事で、大変だった事。

男性:大変だっていうのはあんまり、母が大変だっただけで、餌とかね。うちらもやってみて思うのは、やっぱり、出産して子羊が産まれた時の感動と、それから成長していくまでの過程、遊んでる、ぴょんこぴょんこね、自由にあれしてるそれがあっからやれんのかなとは思うんだよ。それ見てたら飽きないから。

インタビュアーA:もともと動物好きだったんですもんね、お父様も。

男性:そうそう。

インタビュアーA:息子の和浩さんも動物好き。

男性:うん。どっちかっつうと俺は馬のほうが好きなんですけど。

インタビュアーA:そうなんですね。ぴょんこぴょんこしてるのが見るのが好きっていう事ですね。

男性:飽きないよね。

女性:飽きないですね。

インタビュアーA:大変だった事はお母様の事だけでいいですか。

男性:そうですね。母親が大変だっただろうなという。

女性:でも、しょうがないなぐらいの。

男性:まあね。

女性:感じだったと思いますよ。生活の一部ぐらいに、休みがないとかそういう事は一切言わなくて。彼女が貝ノ坂で暮らす中でのごはんを食べるっていうのと同じぐらいのレベルの話だったと思います、生活に。

男性:でも、それをやるご褒美があったので。

女性:あったの。

男性:うん。

インタビュアーA:何ですかそれ。

男性:例えば、その競りで高く売れるじゃないですか、それでおふくろがほしかったテレビを買ったり、冷蔵庫を買ったりしてる訳だから。

インタビュアーA:なるほど。

女性:私、ビール1杯だけ。あんなに大変だったのに。

インタビュアーA:書いていいですか。ビール1杯って。

女性:はい。私はビールでしたね、ガストで。

男性:今日、高く売れたからとか言って。

インタビュアーA:そこはちょっとあれなんですね。でも、ちゃんとそうやってみなさんに分配してたんですね。震災前の2010年までそれをやってこられて、2011の時までは頭数的にはあまり変わらず。

男性:変わらずですね。

インタビュアーA:8頭って感じで。

男性:うん。おふくろに増やすなって言われてたんだよ。どうせ仕事に行くんだから、あと大変になるから。

女性:苦労してるね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:分かりました。震災が起きてそういう感じで、不安とか何かそういうのはあったんですか。

女性:不安は、私はすごくあったな。

インタビュアーA:何に対する不安が一番っていうか、どんな感じの不安を持ってたんですか。

女性:最初の年は、やっぱり、放射性物質が自分の体にどういう風な影響を与えるのか与えないのかっていうのが。

インタビュアーA:健康被害ですね。

女性:そうですね。1回も鼻血も出なかったので、もういいかなって。

[00:45:00]

インタビュアーA:通ってた時は、娘さんも通ってたじゃないですか、その時に若い女性が毎日ですよね、ほぼ。

男性:2日にいっぺんとか、3日に。

インタビュアーA:通ってて、そういう不安はあったと思うんですけど、どういう気持ちで通ってたんでしょうか。

女性:不安よりかは餌やりをやめたら動物が死んでしまうなっていう追い立てられるような気持ちで、自分よりかは彼らはあそこから逃げることができないですし、自分で餌を取りに行く事もできないという訳なので人間が関わらなければ死んでしまうっていうほうが強かったので。

男性:俺はそっち考えるより仕事のほうのほうだったからね、どうしても。

女性:うん。そうね。それはしょうがないよ。

男性:これからどうするっていう。動物のどうのこうのもあった、関わりはしていたけど、それよりも自分が経営してる会社を今後どうするか。事務所も入れなくなってんじゃ事務所もない、でも、仕事はしなきゃ。しなきゃなんないっていうのは、他の20キロ圏内の企業さんだったらほとんど地元の人だからみんな避難してっていうのがあるじゃないか、保証とかも段々決まってきてっていうのがあったけど、うちには地元の人だけじゃなくて横浜だったり岩手だったり色んな従業員がいたので、その人達は何の保証もない訳じゃないですか。

インタビュアーA:そうだったんですね。

男性:そうなんです。そうすると、結局、住んでる住んでないだけじゃなくて住所がどこにあるとかそういうのもあるんで、だから、結局、その人達の生活をね、経営者としてあれしなきゃなんないから、もう知り合い全部だね、九州から北海道からみんな電話してなんとか仕事をっていう。地元がない訳だから仕事ができないっていうのもあって。なんとかそれで仕事をしていて、今度は東京電力からもお願いされる訳じゃないですか。でも、やりたくないっていう選択肢もできないじゃないですか、従業員がいてその人達の雇用守っていかなきゃなんないんだから。

インタビュアーA:お願いっていうのは仕事をやってくれないかっていう。

男性:そうそう。

インタビュアーA:ですよね。その人達はそこで働くっていうのはできたんですか、その横浜とかどこかで。

男性:もともと、栃木に行ったり、秋田に行ったり、色んなとこに仕事が出た時に行ってそこで旅館とかに泊まって仕事をしてもらうので、だから、それがなくなっちゃうとその人達の生活ができないですよね。また、変な話で言うと、そういう建設会社とかの働いてる人達って貯金とかない、持ってないんですよ、みんな使っちゃうから。だから、仕事がなくなったら生活ができないみたいな人達が結構多いので、そういう人達の仕事を確保しなきゃなんない。

インタビュアーA:それで、あちこち駆け回ってたんですね。

男性:そうそう。そんで、じゃあ、うちで仕事を出す、使ってあげるからとかっていうとこに行ってもらってっていう風な形でやっていって。そしたら、今度、東京電力の復旧工事とかそういうものがあって。

インタビュアーA:何月から募集っていうか。

男性:6月、その年の。

インタビュアーA:2011年の。

男性:そう。

女性:暑かったんだな。

男性:そうそう。6月、7月。

インタビュアーA:はいはい。

男性:うちは原発じゃなくてそこから電気を送る送電っていって、鉄塔とかそっちのこう、それも地震で根本が崩れたりヒビが入ったりとかってそういうところを直す仕事をやってほしいって言われて。タイベックスーツを着て、マスクをして、山に登り、丸太とか背負ってですよ、そういう仕事を。他がやらない、東京電力の仕事をやらないっていうとこもあったし、避難してるとこに連絡あれっていうとこもあったからね。

[00:50:10]

男性:どうしてもお願いしたいって言われて、うちも、だって、そういう人達もいるから仕事は取んなきゃならないっていうあれがあって。結局、ビッグパレットの駐車場にキャンピングカーで、うちらはたまたま持ってたんで避難して、そこを事務所にしてパソコンとかを置いてそっから連絡を取りながら行ってやったつう。その帰りに餌をやったりとかっていう感じで進めていって、最初は。

インタビュアーA:それは何ヶ月ぐらいそんな状態だったんですか、ビッグパレットが。私も郡山から通ってた時は遠いですよね。

男性:2年か。

女性:ビッグパレット。

男性:うん。仮設住宅に行くまでずっとだもんね。

女性:2年じゃない。

男性:2年じゃねー、2ヶ月だ。ビッグパレット1ヶ月の泉崎1ヶ月みたいなで仮設住宅か。

女性:うん。

男性:でも、結局、仮設住宅も郡山だったんで、仮設住宅に入っても仕事は郡山からずっと。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:うん。

インタビュアーA:郡山から通ってたのは何年、何ヶ月ぐらいなんですか。

男性:何ヶ月。

インタビュアーA:6月からですよね。

男性:うん。仕事が入れば、俺がやめたのが3年前、3年前までは、だから。

インタビュアーA:2018年までは通ってたっていう事ですね。

男性:そうですね。

インタビュアーA:郡山から通ってたですか。

男性:そう。仕事があれば。例えば、楢葉の道の駅あるじゃないですか、あそこが一時帰宅受付場所になってた時あるんですけど、そこの放射線管理とかもやってたんで、だから、朝5時出発でみんなね、仮設住宅に集合してそっから高速で楢葉まで行ってやったり。

インタビュアーA:それで餌やりもしながらっていう。

男性:そうそう。

インタビュアーA:体力的にきついとかそういうのは。

男性:ない。仕事好きだからかな。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:あんまり体力的にはきつとかは思わなかったな。

女性:うん。

男性:だね。

インタビュアーA:すごいですね。運転大変ではなかったですか。

女性:多分、あれなんですよ、うち平気な体質なんですよ。片道100キロとか平気な体質なんですよ。

男性:そうなんだよな。

インタビュアーA:すごいですね。

女性:吉田家みんなそうなんで。

男性:吉田家っつうよりうちで働いてる人達もそうだけど、福島から鹿児島まで軽トラで。

インタビュアーA:鹿児島。

男性:うん。軽トラで行って仕事して帰ってくるみたいな。

女性:2日かかるんだって。

男性:2日かけて行って、1日仕事して、2日かけて帰ってくるみたいなの。

インタビュアーA:車中泊みたいな感じなんですか。

男性:いや、途中でちゃんとホテルとかには泊まりますけど。

インタビュアーA:でも、ずっと運転しっぱなしですよね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:2日行けるもんなんですね。

男性:行けるんですよ。

インタビュアーA:そうなんですね。じゃあ、もとから慣れてたっていうのはあるんですね。

男性:うん。だから、そういうのではあんまり苦労とかって思わなかったけど。

インタビュアーA:はい。

~中略(他の気苦労の話)~

インタビュアーA:そういう気苦労はあったけど、肉体的にはそこまでっていう感じですかね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:何日通われたかって項目ありますけど、2日に1回通ってたから何日も何も、何年もずっと通ってたっていう感じですね。

男性:うん。

インタビュアーA:分かりました。

男性:あとは道、閉まったっちゅうのがあんのかな、色んなものを。例えば、牛がね、乳牛が繋がれたまま死んでたりね、出産途中で死んじゃっていたりとか。

インタビュアーA:出産途中で。

男性:うん。子羊がちょうど出たばっかりのあれで死んでるやつとかが。

インタビュアーA:それは何で。死因っていうのは出産。

男性:出産と、あと、水とかが全然飲めない、餌も食べれない状態で繋がれたままだったからっつうのもあったんだと思うんだけど、そういうのとかね、馬にしたって繋がれたまま傷だらけで水も飲めなくてとかって。

インタビュアーA:傷だらけってのは。

男性:津波でね、馬室とか壊れて、木とかが当たって傷だらけんなっててで、水も飲めないとかっていうのがとかもずっとその頃見てて、じゃあ、それ救出しようと思ってね、チェーンソーとかあれで外して電柱に繋いで、水を沼から汲んできて飲ませて、そこの馬室のとか飼ってる人に連絡したら余計な事すんなみたいな事を言われ。

インタビュアーA:水も飲めないんですよね。

男性:だけど、余計な事すんなって、そのままにしてとかって言われたり。そういうのも含めて色々経験したから余計にねっていうのもあるかな。

インタビュアーA:ショックですね。その当初、色々見てしまったっていうその中に、そういう繋がれたままのものと、あと、津波で瓦礫が刺さったものもいた。

男性:うん。

インタビュアーA:あと、他に何か見られたもの色々教えていただいてもよろしいですか。津波で生きてはいたんですか、馬は。

女性:生きてました。

男性:生きてる。

インタビュアーA:それは牛舎に。

男性:馬室っていうか馬小屋。馬小屋がもう柱とかが折れていて、でも、瓦礫とか色んなのこう、外には出れないんですよ、自力では。

インタビュアーA:そうなんですね。繋がれてはいなかった。

男性:繋がれてはいなかったね。

インタビュアーA:津波がくると出れなくなる。

男性:ですね。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:それは、あの時、2頭だよね。

女性:うん。2頭。

男性:2頭が傷だらけで震えていて。これは助けなきゃつって、どかして。

インタビュアーA:木材を。

男性:そう。

インタビュアーA:手で持って。

男性:手と、あと、2番目のお姉さんの旦那さんが近くだったんで、チェーンソーとかのこぎりとか持ってきてそれで切って。

インタビュアーA:それはもともと使えたって事ですよね、チェーンソーとかね。

女性:ですね。

男性:そう。

インタビュアーA:水汲んできたのは何で汲んできたんですか。

男性:バケツだよね。

女性:こういうポリタンクに堤の水をやって。

男性:持って。

インタビュアーA:飲みましたか。

女性:すぐなくなりました。

インタビュアーA:そうですよね。

男性:足んねえべみたいな感じだったので。

インタビュアーA:それ何月ぐらいですか。

女性:3月中ですね。

男性:3月中だね。そうだね。

インタビュアーA:その飼主さんが、多分、水もあげてなかったから相当喉乾いてましたよね。

男性:うん。その人は新潟だかに避難してたんだよね、もう。避難していて、その人を知ってる人がたまたま市議で、その人から連絡してもらってあれしたら、本人は余計な事しないでくださいって言ってっからそのままにしてくださいとか言われて。だから、電柱に繋いだまま、あと何もできない。

インタビュアーA:そこからは出した。

男性:うん。出して電柱に繋いどいたんだけど、その後は何もできない。だって、飼主が。

[01:00:02]

インタビュアーA:そうですよね。津波で流された家畜とかって見た事ありますか。

男性:ある。マドカさん。頭が泥に刺さって天井を向いてた牛いたよね。

女性:いました。

インタビュアーA:もう死んでるって事ですか。

男性:そうそう。

女性:こう泥で、こう牛が刺さってるんですよ。こういう感じで、こっちがお尻で。あれ牛だよね。

インタビュアーA:呼吸もできずに死んでっていうのが。

男性:そうそう。そういうもんでですね。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:うん。一番、やっぱ、乳牛だよね。ひどかったね。

女性:うん。そうね。乳牛はどこもひどかったね。

男性:うん。

インタビュアーA:どんな状態だったですか。その乳牛とか。

男性:だから、要は、繋がれたまま。餌も水も飲めないんでそのままダラッとなってんのがいっぱいいて。

女性:立てないですよね、もう。

男性:そう。

インタビュアーA:生きてはいたんですか。

女性:生きてるのもいましたし。

インタビュアーA:死んでるのもいた。

男性:死んでるのもいっぱい。

インタビュアーA:死んでるのは、もう、飲めなくて死んでって感じなんですかね。餓死っていうか渇死。

男性:そう。あとは出産のあれが、結構、時期のやつが何頭かいて、それも結局ね。

インタビュアーA:人の介助がないと産めないですもんね。

男性:そうそう。本当に産む途中ぐらいでこう。

インタビュアーA:頭が出てきて。

男性:そうそう。そのまま死んでるみたいなのもいたよね。

インタビュアーA:子牛みたいなのは見ましたか。乳牛の子牛。

男性:うちらが見たところはもう子牛も死んじゃってる。

インタビュアーA:水なければそうですよね。

男性:そう。

インタビュアーA:生きてるのは何割ぐらいが。

男性:うちの見たところはほとんど、1割生きてないよね、多分な。ほとんど死んでたもんね。

女性:うん。

男性:弱ってたのが1~2頭いたぐらいだったから。

女性:小高のほうは行く時期は早かったんで、3月の下旬ぐらいだったので、まだと思って。

インタビュアーA:生きてたんですか。

女性:生きてはいたんですけど、水が止まってたので、その時餌をやっちゃって、その餌が原因で喉が乾いてしまったかもしれないっていうのはあったんですけど。

男性:餌は残ってたの。でも、餌も食ってないだろうなと思って餌はあげたんだけど、そこは水場が全然なかったんだよね、当時。

女性:ウォーターカップって鼻で押すやつあると思うんですけど、それが全部動かなかったんで。

インタビュアーA:電気は、小高、通ってたはずですよね。

男性:うんうん。

インタビュアーA:町の水じゃなくて配管が。

男性:配管がもうダメになってたかもしんない、地震で。

インタビュアーA:そうですよね。小高の牛達は1割は生きてたんですか。

男性:1割ぐらいはいたよね。

女性:うん。

男性:あとは、本当に、ちぎって、ウロウロしてたの見たから。

インタビュアーA:ロープをちぎって。

男性:そうそう。

インタビュアーA:ロープだとちぎれるんですね。

女性:比較的、和牛のほうが逃げてるイメージがあったな。

男性:んだな。和牛は結構逃げてるのいた。乳牛がやっぱりひどかったんだな。

インタビュアーA:ロープ付きで逃げてた乳牛は生きてるっていうか、ちゃんと青草は食べれてたんですか。

男性:まあ、外に出てたからね。

インタビュアーA:餓死しそうっていう感じではなかった。

男性:ではなかった。

インタビュアーA:水も飲めてたんですかね、じゃあ。

男性:繋がれてなければ、多分、なんとかなんだと思うんだよね、ある程度はね。 インタビュアーA:ご夫婦であちこちそういうのは見て、そのひどさを見たから。

インタビュアーA:見ちゃったから。

男性:そう。見ちゃったからなんだよね。一番最初のきっかけが馬なんだよね。

インタビュアーA:ああ。

男性:馬がそういう風に傷ついてたあれで、じゃあ、他どうなってんだってなって見に行っちゃったんだよな。

インタビュアーA:そしたら。

男性:そしたら、ウワウワッていう。

インタビュアーA:馬はどれくらい生きてたんですか、その時。

女性:1頭死んでたな。

男性:1頭死んでいて、2頭が傷だらけになっていて。たまたま6号線に近いっつうかね、そこを通った時にそれを見つけたからあれだったんですけど。他の馬屋さん、昔は逃した人もいただろうし持っていった人もいたからあれだけど。頼んでね。

インタビュアーA:馬が動きが速かったらしくてね、ネットワークが独自なものがあって、農水省の原田さんも言ってましたけど、馬は勝手に全部みんなでネットワーク組んで助けてたみたいな。

女性:そうなんです。そのネットワークから仲間外れにした。

男性:仲間外れっつうか変わり者っていうか、その人のところをたまたまうちら見ちゃったんだよね。

インタビュアーA:そうなんですか。

男性:うん。そうそう。

女性:というか、評判が悪かったですね。

男性:後から聞いたらね。

インタビュアーA:だって、そういうセリフ言う人ですもんね。ヤギと羊はそういうネットワークっていうのはあったんですか。

女性:いや、ほぼ。

男性:羊は3軒しかなかったので。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そうそう。ミシマさんとこと、あと、イイタカさん、富岡で、うちと3軒しか浜通りではやってる人がいなかったので。その3軒はネットワークじゃないけど、あれはありましたけど。結局、ペットで飼ってる人はヤギなんかほとんどで、じゃあ、ヤギをね、畜産としてどうのこうのって言う人達はほとんどいなかったので、そのネットワークとかじゃなくてあそこで飼ってるよぐらいの情報網しかね、富岡で飼ってる人いるよとかそのぐらいの情報しかなかったからね。

インタビュアーA:その方もペットで飼ってたみたいな感じで。

男性:みんな、大体そうですね。

女性:大体。生産物ではないですね。

男性:そう。

インタビュアーA:さっきのセリフで、ペットなのか家畜なのかみたいなそういうやり取りをしたって聞いた気がするんですけど、それは4月22日前後に誰とそういうやり取りっていうかされたんですか。

女性:高村さん。

男性:高村は、民主党政権の時に高村大臣がいたじゃないですか、彼がどっちなんだよっていうあれ、低線量被曝がどうのこうのっていう話もあったじゃないですか、その頃。分かんないですか。

インタビュアーA:分かんないですね。

男性:20キロ県内に低線量被曝の牧場つくってそこに羊とか、ヤギとか、牛とか、豚とか。

女性:被災家畜を集約しよう。

男性:集約して研究する牧場をつくりましょうよみたいなのが、話があって、そん時に、20キロ県内にあれする前に、じゃあ、羊やヤギはどっちなのっていう話に。ペットだったら同伴で逃がす事できてたけど、それが畜産、産業動物ってなった場合は家畜っていう位置づけになるんで20キロ県内のやつは出しちゃダメだよっていう、そういう位置づけどっちなんだっていう。結局は産業動物、家畜っていう位置づけになったみたいですけども。

インタビュアーA:それは、もう、国のほうで決まったっていう。

男性:そう。福島じゃなくて他ではヤギで肉にしたりするのもいるし、ミルク取ってあれしたりね。沖縄だったらヤギのお肉でヤギ汁とか色々販売されてるから、やっぱ、家畜でしょっていう。羊も北海道とか、長野とか、そういうとこでお肉にしてるんだから家畜でしょっていう位置づけで、じゃあ、20キロ圏内だから出しちゃダメだよっていう風になったんだよね。

インタビュアーA:なるほど。食肉にあがるかどうかっていう事ですね。

男性:そうそう。一番は。

[00:05:00]

インタビュアーA:吉田さん達はその時にペットですよねみたいな感じで言ってたんですか。

男性:そうそう。

女性:羊はともかく、うちのヤギは経済活動をしていない、子供を販売してもいないしお乳も販売してないから経済動物じゃないでしょって言ったんですけど、やっぱり、区分的には家畜ですって農水省から言われまして。

男性:そうそう。

女性:うーんって。

男性:ダメかつってな。

女性:ダメだった。

インタビュアーA:ヤギは子牛も販売してなかったんですもんね。

女性:そうですね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:そうなんですね。

女性:どうなってたの、譲ってたの、持ってってたの。

男性:何が。

インタビュアーA:なるほど。

男性:あ、ほしい人にあげてた。

女性:あげてた。

インタビュアーA:なるほど。

女性:趣味だからね。

男性:うん。

インタビュアーA:なるほど。もう産業動物っていう事で、20キロ圏外に出しちゃいけないってなって、その時の気持ちっていうか出せるんだしたら出したいって思ってた訳ですよね。

男性:もちろん。

インタビュアーA:出せないってなった時はどういう風に思いましたか。

男性:これからどうやって、もう警戒区域になって出入りもできない、さあ、これからどうやってこの子達に餌やりをやるか。

女性:全く行けなくなってしまったんで、死んでしまうかもしれない。

インタビュアーA:そうですよね。

女性:4月22の時点ではバチッと閉じられて次どうなるかっていうのは全然なかったんで、5月の10日にその第一回目の一時帰宅になるまで生きているんだろうかっていう。

インタビュアーA:その時はまだ立ち入り許可証とかなかったんですもんね。

男性:なかった。

インタビュアーA:その5月の一時帰宅までは。

男性:うん。だから、もう、生きてっていう感じで、結局、そこにいたハトとか、ヤギ、羊、それからウサギももう放した、ドアを開けて。

女性:ドアを開けて。

インタビュアーA:なるほど。ウサギとハトも飼ってたんですね。

男性:ハトと、羊と、ヤギと。

女性:ハトが逃げないんですよ。小屋から出ない。

男性:そう。懐いてっからな。餌もらったりはだからね。

インタビュアーA:餌は置いてきてはいたんですか。

男性:もちろん。

インタビュアーA:大量にっていうか。

男性:うん。

女性:あるのこうやって開けて。

インタビュアーA:全部開けて。

男性:生きろつって。

女性:ウサギは。

男性:ウサギは残念ながら。

女性:放した瞬間に近所の犬が食べたらしくて。それは2日後ぐらいに近所のおじさんから聞くんですよね。お前ん家のウサギ食われてたぞって。

男性:犬に食われてたぞって。

インタビュアーA:それちょっと。

女性:しょうがないですよ。犬もお腹減ってたし。

インタビュアーA:そっかそっか。

男性:生きてかなきゃなんないから。

インタビュアーA:そうですよね。

男性:うん。

インタビュアーA:弱肉強食ですもんね。

女性:しょうがないですけど。こっち、今の犬が食べたのとこでショック受けて電気が止まっちゃったんです。こっちでちょっと失礼します。生きろって言って餌を大量に置いて出られた4月22日の時は、その時は先が見えないっていうかどういう風に立ち入りができるか分かんないっていう状態で、5月の一時帰宅までずっとそのまま放したままで、様子は分からなかった訳ですよね。

男性:うん。

インタビュアーA:やっぱ、心配でしたか。どういう気持で。

男性:心配っつうよりも状況がどうなってっか分かんないから、だから、その一時帰宅が決まった時に、じゃあ、羊、ヤギ確認してくっからみたいな感じ、どうなってるかっていう感じだったんで。

インタビュアーA:それ5月の何日でしたか、一時帰宅は。

女性:10日。

男性:10日。

インタビュアーA:すごい。ちゃんと覚えて。

男性:うん。

インタビュアーA:生きましたか。

男性:うん。だって、俺、真っ直ぐ家のほうじゃなくて羊、ヤギ小屋のほうに行ったので。

インタビュアーA:そうなんですね。ちょっと、そこお聞きしたいです。

男性:そしたら、ちゃんと小屋の中にいるんですよね。

インタビュアーA:待ってたんですか。

[00:10:00]

男性:待ってたっつうか、外で、多分、雑草とか食ってで、安全な場所なんだよね、小屋って、だから、休憩するとかは全部そこでしてるから日中そこに全員が集合して。

インタビュアーA:そんなに、危機的な状況でもう死にかけてるとかそういうのじゃなく。

男性:じゃなくて、ちゃんと餌は食ってるし水も飲んでるなって感じだったから。

インタビュアーA:普通に生きてた。

男性:そうそう。

インタビュアーA:元気でしたか。

男性:うん。それを写真に撮って。

インタビュアーA:本当ですか。

男性:だよね。あとビデオとか。

インタビュアーA:生きてたっていう感じですよね。

男性:それが。

女性:テレビ朝日が持っていった。

インタビュアーA:ああ、すいません。

男性:テレビ朝日が持ってった。

インタビュアーA:そうなんですね。生きてた時、見た時どんな気持ちでしたか。生きてたっていう感じですか。

男性:生きてたっていうより、やっぱ、羊とかヤギって痩せてもきちっと、放牧とかはもともと運動とかでさせてるんで。

インタビュアーA:慣れてた。

男性:うん。雑草とかそういう食べるものと水があればある程度は大丈夫なんだなっていう。ただ、やっぱり、少しは痩せますよ。栄養のあるものを今までは。

インタビュアーA:ルーサンとかないから。

男性:そう。ルーサンとかそういうのを食べさせてた訳だから。

インタビュアーA:はい。そうですよね。

男性:うん。そこは。それでもちゃんと元気にあれしてるんで。今、こっちでやってる羊とかそれも放牧をやりたいっつうのはそういう、何かがあった時でも自分達で生きていけるような形の牧場の経営をしたいっていうのはそこからきてるっていうのあるから。

インタビュアーA:そうですよね。それで水もあれなんですね、自然の水。

男性:そう。

インタビュアーA:川内の時は自然の水だったんですか。

男性:そうです。川内の水を。

インタビュアーA:常に自由に飲めるようになってたんですか。

男性:そう。もう流れ出るって感じなんで。

インタビュアーA:それはどういう水ですか。

男性:山から引いたやつ。

インタビュアーA:どうやって引かれたんですか、それは。ホース。

男性:ホース。

女性:黒いホースを。

男性:山のほうのあれに、お風呂のバスタブ大きいやつあんじゃないですか、あれを産めて、そこから溜め水にしてホースでずーっと。

インタビュアーA:濁りのない綺麗なのがくると。

男性:それをずっと流すっていう。

インタビュアーA:何メートルぐらい引いてきてたんですか。

男性:40メーターぐらいか、うちのところまで。

女性:かな。

男性:40メーターぐらいだと思う。

インタビュアーA:それは震災前につくられてたやつですよね。

男性:そう。うちの父親がやってたんで。

インタビュアーA:お父様がそういうDIYっていうかやったんですか。

男性:もともと、そういう土木系の仕事をしてた人なので、現場監督とかやってたので。

インタビュアーA:すごいですね。やっぱ、そういう知識とかあると違いますね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:予算って大体どれくらいの金額でそういうのつくれるもんなんですか。他の被災地の人達にも参考していただきたいので。

女性:あのホースがいくらするか分かんないな。

インタビュアーA:どういうホースですか。

男性:固い、こう。

インタビュアーA:サクションホース。

男性:って言うのかな。

インタビュアーA:金属が、細いワイヤーが入ってるやつ。

男性:そうそう。あれをずーっと伸ばしてなので。

インタビュアーA:直径って。

女性:3センチ

男性:3センチぐらいのやつじゃねーかな。それでずーっと。途中で詰まる可能性もあるんで、途中にジョイントつくっとくんですよ。

インタビュアーA:なるほど。抜けるように。

男性:そう。もし、詰まったらそこを外してそこで取り除いてまた繋ぐっていう形でやるってね、あれね。

インタビュアーA:すごい。水はもう困らなかったですね。

男性:水で困る事はなかったと思うんでね。餌も、周り田んぼとか畑だからそれを食べれば。あと、桑の葉っぱとかも結構周りにあったんで。周りにあんまり牛とか飼ってるあれも少なかったから餌豊富あるっつうのがね。牛と競争する事ないから。

インタビュアーA:そうですね。食べ放題っていうか。

[00:15:02]

男性:そうそう。

インタビュアーA:それ最高の環境ですよね。

男性:うん。あと、面白いと思ったのは、後からですけど富岡とかね、楢葉とかヤギの預かってって言われて連れてきた時に逃げちゃったんですよね、途中でね、すごい遠くまで行っちゃって。

インタビュアーA:どれくらい遠くまで行くもんなんですか。

男性:姿見えないくらいなっちゃって。

女性:やべーって。

男性:預かったのはいいんだけども、殺処分したくないから預かったのにどうしようと思って、でも、その日ね、やっぱり、戻んなきゃなんないじゃないですか、どう言い訳しようって思ってたのにね、次の2日後に餌やりに行ったら、やっぱ、ヤギとか羊って群れで生活あれだから合体してるんですよ、ちゃんと。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そう。

インタビュアーA:行ってもまた戻ってくるっていう感じなんですね。

男性:だって、そん時、まだ顔合わせてないですもん。

インタビュアーA:そっか。初めて自分で来れたっていう事ですね。

男性:そう。だから、どっちも知らない訳、知らないんだけど、こっちは途中で逃げちゃって見えなくなっちゃって、これはやべー、見つかんなかったらどうしよと思ってたらちゃんとその集団に自分達で集まってくれるっていう。これは素晴らしい。

インタビュアーA:よかったですね。

男性:2人でどうしようどうしようって言ってたもん。これはまずいぞなんつって。

インタビュアーA:習性ですね。

男性:そう。習性は、やっぱり、群れであれする動物はいいなと思った、俺、そん時。

インタビュアーA:そうですね。助かりますね。

男性:そう。

インタビュアーA:ちなみに、逃げたのは運ぶ途中でみたいな感じなんですか。

男性:運んできて、入れようと思ったらそこで逃げられちゃったの。

インタビュアーA:分かりました。

男性:うちのヤギ、初めてでそん時見る訳だから、やっぱり。

インタビュアーA:怖かった感じなんですかね。

男性:だと思うんですね。子ヤギが2頭いたんだよね、いたから余計に警戒心っつうかあれがあってで逃げちゃって。

インタビュアーA:もし、それが飼い主さんが連れてきてたらもっと。

女性:違ったと思います。

インタビュアーA:そうですよね。

男性:いや、2頭はだって。

女性:後に産まれたもんね。

男性:そう。飼い主さんも見てないから。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そう。

インタビュアーA:震災後に産まれたやつですか。

男性:そう。震災で避難してから産めちゃったやつなので。

女性:お母さんだけはなんとかなったね。

男性:お母さんとかはなんとかなったけど、その子供が逃げちゃうと、やっぱり、あれだったから。

インタビュアーA:子ヤギってヒュッて逃げる感じですか、ちっちゃくて。

男性:そう。人間に懐かないから、最初に怖がって。

インタビュアーA:そうですよね。柵はどういう形で立てられてたんですか。

女性:色々です。ネットの部分もあったり。

インタビュアーA:パレットも使ってましたか。

男性:パレットは使ってないよね。ほとんどネットだったな。

女性:あと、目の荒い鉄の。

インタビュアーA:ワイヤーメッシュ。

女性:はい。

男性:うん。とか使ってやってたんで。

インタビュアーA:何メートルぐらいの高さでつくるんですか。

男性:1メーター。

インタビュアーA:1メートル。

男性:うん。ヤギとか羊だけ1メーターで。それが震災、雪とかあれすごい時あったじゃないですか、あん時にね。

女性:全部埋まったんですよ。

インタビュアーA:すごい雪ありましたもんね。

男性:柵の意味がなくなってて。

インタビュアーA:なるほど。

男性:そう。震災の、あんまりにも親父のつくってたあれが、柵がひどすぎてで全部つくりなおしたんです。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:そうそう。みんな、穴とかから逃げていっちゃうんで、それを全部つくり直して。

インタビュアーA:何日ぐらいでつくれるもんなんですか。2反使ってたんですかね、お家を。

女性:2ヶ月かかったか、材料がこないから。

男性:材料と、あと、うちの新しく入った従業員の研修がてらだったので、土木とかやった事ないあれが多かったので、じゃあ、ちょっと、柵をつくってみてみたいな感じでやってるんで。

インタビュアーA:なるほど。

男性:うん。ついでに、放射線の低減効果をどうやったらできっかっていうのもついでだからやって、その頃、実証だったんだよね。

[00:20:01]

女性:実証だったね。

男性:5センチ削って、あと、どういう方法でやったら放射能が低減できっかっていう実証モデル地区が、その一番最初にやったのがうちらの地区だったんですよ、国のあれで。そん時にうちも携わってて、俺の中でこれじゃダメじゃねっていうが農地とかそういうものに関してはこれだったら全然自分達がやりたい、例えば、放牧とかそういうものには使えないやり方だなと思ってたんで、じゃあ、自分の会社でどうやったらそこを震災前の牧草蒔いても牧草が安全なね、牧草が生えるやり方ができるかと思ってやったんです。それをやって牧草蒔いて検査も出して、そしたら、そこはもう震災前と同じぐらいの牧草の生えるようなあれに。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:うん。例えば、段差があるとするじゃないですか、ここを50センチ削るんですよ、5センチじゃなくて50センチぐらい、これをこっちに入れるんですよ、下に、ここ1メーター、例えば、段差があって下の畑だとかだって、ここに入れるじゃないですか、ここに違う土を、汚染されてない土をずっと盛れば、牧草の根っこって深くたって10センチ15センチじゃないですか。1メーター下に汚染されてるものがあったとしても上はもう完全に。

インタビュアーA:そうですね。はい。

男性:うん。そこで牧草蒔いてあれしたら震災前と同じ牧草地になるんですよ。それを5センチとかやっからあれダメなだけの話なんですね。5センチやって削ってやってもそれよりも深く入ってるとこなんていくらでもあって条件によるんで、それだったらもう完全に取り除くんだったらそれぐらいやんないと、多分、農地で、牛の場合はある程度牧草が、変な話ですよ、10ベクレルとか何ベクレルって、30ベクレル以下だっけかね、であったらお肉にして、例えば、ミルクを飲ませるにしても、搾るとこからにしてもOKなんだけど、羊、ヤギの場合は全然、本当に震災前と同じぐらいのレベルになんないと肉にもできないし、ミルクを確保してね、何かに使うっちゅうのもできない状況だから。そこまでやってくれないと福島で、じゃあ、ヤギをやりたいとか、羊でこういう牧場やりたいとかっつうのは、まず、今後もできない。だから、牛だって、本当だったら震災前と同じ条件に戻した段階でやったほうが安全な、本当に福島は安全な、それも検査してっからっていうあれでやるべきだと俺は思っていて。数字出た何だって、牧草が10ベクレルありますよつったってそのお肉とかね、ミルク買う人いますかっていう。N.D.だからみんな安全だっていうだけで、数字出たらほとんど買ってもらえないと思うから。そこをね、もうちょっと口とか県とかが、一番は県だよね、今、もっと国に要望しないとダメなんじゃないかなと思ってるところ。

インタビュアーA:川内は除染して、独自の除染されてどれくらい下がりましたか。

男性:確かに、下がったのは下がったです。うちの地区が一番線量が高くて、最後まで解除になるのが葛尾と同じあれだったんで、下がってはいるけどホットスポット的なところがいっぱいあるのと、あとは、山が高いんですよ、川内村のその20キロ圏内のところって。うちらが解除になった時でいえば、変な話で言うと、東京電力が認めてる放射線管理区域と同じ、今でいう大熊のね、困難区域と同じような線量な訳ですよ。

[00:25:02]

男性:そこに農地とか宅地を除染終わってそこだけが低いから帰りなさいって言う、そこに帰る人、帰って何かをする人は俺はいないと思っていて反対をしていたんだけど、結局、解除にはなったんですけど。今、2世帯、戻ったのが2世帯しかいなんですよ、実際は。だから、もう地区としては機能しないですよね、2世帯どうのこうのって。川内村って一番解除が早くて、帰村も早くなってフロントランナーみたいな形になってますけど、実際、3分の2は安全、奇跡的に空間線量が低かったんですね、川内村って、本当の3分の1ぐらいの地区だけが線量が高かった、じゃあ、その高かったところの人達が戻れてるかっていうと他と大差ないですよ、富岡とか、大熊、浪江、葛尾とかとほとんど変わんなくて、それが3分の1しかないからさも川内村ってもう80%が帰ってきてて、若い人達も移住してきてみたいになってるけど、そのポイントで考えたら全然他となんら変わらない。

インタビュアーA:何世帯中の2世帯なんですか。

男性:22世帯中の2世帯。それも高齢の90歳のおじいちゃんおばあちゃんのところと、あとは、区長さんだった人の2世帯だけなので。そういうところで何かを、うちらも最初はそこで羊牧場をやりたかったけど、それを断念したっつうのはそういう色んな条件とかも考えたらそこではもう無理だなっていう話だったもんね。

インタビュアーA:分かりました。あと、スペック的なところをちょっとお聞きしたいんですけど、自宅から農地まで、農地の広さは結局2反っていう事でいいですよね。

男性:うんうん。

女性:はい。

インタビュアーA:自宅から農地までの距離はどれくらいでしたか。その放牧地までの距離。

女性:50メーター。

男性:50メーターぐらいだね。

女性:歩いていけるくらいです。

インタビュアーA:はい。歩いてヤギとか羊も移動はできたっていう事ですよね。

男性:そうです。

インタビュアーA:トラックに乗せたり。

女性:はい。

男性:うん。

インタビュアーA:地形的には、牧場の地形って山の中にあったって感じですか。

男性:全体の地形ですか。

インタビュアーA:はい。全体の。

男性:その地区の。

インタビュアーA:地区じゃなくてその牧場の。

男性:牧場は田んぼとか畑の一角。

インタビュアーA:棚田みたいな感じ。

男性:そうそう。

女性:そういう感じです。

インタビュアーA:何枚分。

女性:3枚。

男性:3枚、4枚。あそこは4枚だったとこ。多分。

女性:うん。

インタビュアーA:土砂崩れとかはなかったですか。

男性:ないですね。

インタビュアーA:ないんですね。

男性:今はもう周りが太陽光になってる。

インタビュアーA:そうなんですね。発電機は持ってたりとかしましたか。

女性:あの時は持ってなかったんですよ。

男性:持ってなかったな。

インタビュアーA:今は持ってるって事ですか。

男性:今は持ってんですよ。

女性:今はめちゃめちゃ持ってます。

インタビュアーA:そうなんですね。ちなみに、どういう発電機持ってるんですか。

女性:ガソリンで動くタイプが4機。

インタビュアーA:すごい

男性:4機か。

女性:4機。

インタビュアーA:それは、やっぱり、災害の時とかに備えてみたいな。

男性:災害と、あとは日頃も使うんで。

インタビュアーA:そうですよね。

男性:うん。

インタビュアーA:ソーラー発電機みたいのは、電牧とかは特に使ってなかったですよね、震災前は。

女性:使ってないですね。

男性:使ってないですね。

インタビュアーA:ヤギの場合は。

男性:ヤギとか羊って。

インタビュアーA:牛より力が弱いから大丈夫ですもんね、それでね。

男性:電牧。

インタビュアーA:電牧じゃなくても全然。

男性:いや、逆に電牧のほうがすり抜けちゃうんですよ。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:うん。

女性:あと、飛んだりね。

インタビュアーA:ジャンピング力が。

男性:あるので。

[00:30:00]

女性:上手くならさないと羊の場合はバリッてなったのビックリして前に出るんですよ。結果的に壊すって。でも、北海道でやってる人はたくさんいます、電牧で。

男性:でも、あんまりよくないってみんな言う。

インタビュアーA:ヤギと羊の場合は木でつくるのが一番いいんですか。廃材、パレット。

男性:やるのはみんな廃材だね。

インタビュアーA:あとネットって言ってましたよね、ネットはどういう。アニマルネットみたいな緑のやつですか。

男性:そうそう。ああいうやつとか。でも、あれはあんまりよくない。

女性:よくない。

インタビュアーA:ワイヤーメッシュは結構いいですか。

男性:どっちかっていうとワイヤーメッシュのほうが。

女性:耐久度でいけば。

インタビュアーA:分かりました。水場はあったですもんね。

女性:はい。

男性:うん。

インタビュアーA:溜めておく桶もあったんですよね、水を。

男性:そうです。

インタビュアーA:川から汲み上げるポンプはあったりしたんですか。そういう水があるから特にそういう器具はない。

男性:うん。そういうポンプはなかったな。

インタビュアーA:はい。分かりました。

男性:あとは、柵の中に細いこのぐらいの川じゃねーけど、水はもう流れてるところがあるので。

女性:勝手に飲む。

男性:勝手にも飲めるところもあったから。

インタビュアーA:飲みスペース。

男性:うん。

インタビュアーA:分かりました。餌のストックは2~3日でしたよね。

男性:うん。多分ね。

インタビュアーA:あの時は無理だったけど、今考えられる活かすために必要だったものとか、事とか、役立ったものとか、身の回りのものとかに限らず環境とか、あとご近所さまとか、ネットワークとか、あとは行政とか、なんでもいいんですけど何かそういうのありますか。

女性:活かすために。

インタビュアーA:何があったらもっと楽だったかとか。

男性:一番は他県とのネットワークをあれして、例えば、災害があった時にそういう畜産動物を受け入れてもらえるっていう協定みたいなのがあったほうが絶対いいなとは。

女性:頼める牧場ですよね。

男性:そうそう。

インタビュアーA:ヤギ、羊用の避難所みたいな。

男性:うん。

女性:はい。

インタビュアーA:広域的な。

男性:そうだね。畜産動物的なものとして受け入れるところが。

インタビュアーA:ありがとうございます。

男性:あとは餌だよね。そういう時の餌のそういうものも含めて安くでもらえるとこがあれば。

インタビュアーA:供給はちゃんと。

男性:うん。

インタビュアーA:そうですね。

男性:うん。

女性:予め誰か探して頼めるところを見つけておくっていうのは、多分、すごく大事だと思います。

男性:あとは、そういう地震だけじゃなし、こういうね、災害があった時に、その他県のネットワークだけじゃなくて地元でも、やっぱ、家畜車を持ってる人が何軒いて、その人達がそういう時に運んであれできるようなネットワークをつくっていかないと、多分、自分達で探して手配してっていうのはなかなか難しいというのはあるから。

インタビュアーA:本当、家畜車とかすごい大事だと思いますけど、ヤギ、羊の場合は軽トラにどういうのがあれば家畜車になるんですか。何か専用のがあるんですか。

男性:いや、パレットとかあれでこうやれば。

女性:柵をつくって。

男性:あとはコンパネとかね。ちょっとは厚めの。

インタビュアーA:つくるのにどれくらい日数とか費用かかるんですかね。

女性:材料があればその時に組み立てて。

男性:その時に組み立てて、それ積んでっつうのはできんですけど。

インタビュアーA:つくるのはその日っていうのは5時間ぐらいかかるんですか。

男性:いや、1~2時間でできると思いますよ。

インタビュアーA:すごいですね。

男性:うん。つくっとくのが一番いいけどね。パレットとかで。もうあとは乗っけるだけにしとくとかっていう。

インタビュアーA:そうですね。乗っけるだけ。避難先までの距離の通うのに、吉田さん達の特殊なあれはちょっと分かんないですけど、普通の人、周りの農家さん達見て、普通の人はどれくらいの距離だったら通えると思いますか。

[00:35:00]

男性:でも、結構、郡山とか、すごい人は会津のほうから通って2日にいっぺんとか3日いっぺん餌やってた人達もいるから。

インタビュアーA:本当ですか。牛ですか、それは。

男性:牛。

インタビュアーA:会津からってすごい遠いですよね。

男性:うん。だって、ホリモトさん達だってビッグパレットから富岡にイノブタに餌やんのに通ってたし。だから、結構、やっぱ、自分が飼ってたね、あれを。大きくっつうかある程度それで収入を得ていた人達は通ってやってたよっていうのがあるかな。1~2頭で。

女性:経営の足しに。

男性:ぐらいの人はもう行かんみたいな人達も多かったような気がするね。震災の時色々話を聞くと。あとは責任感ですよね、近所に迷惑かけられないからとか。近所とね、トラブルなんないように一生懸命通って餌をやってっていう。

インタビュアーA:名前は付けてたんですか。その8頭の。

男性:うちでですか。

インタビュアーA:はい。

女性:付けてないんじゃない。

男性:ヤギは付けてたけど、羊は名前は付いてねーな。

インタビュアーA:言ったら来ますか。ヤギと羊避難させようとしたら。

男性:羊は来るとおもう。親父がデッキブラシで背中一生懸命こうやって。

インタビュアーA:そうなんですね。懐いてはいたって事ですね。

男性:そうです。

インタビュアーA:そうですよね。移動がみんなしてるんですもんね、そのミシマさんとか他の方も。

男性:ミシマはさんは愛情たっぷりだったからね。

インタビュアーA:やろうと思ったらみんなできそうなもんですか。ヤギと羊を緊急時に避難させるためにトラックに乗せるっていうのは、農家さん地震で。

女性:できると思います。

男性:できっと思いますよ。

女性:やっぱり、普段のお世話で信頼関係というかそういうものがあると思います。

インタビュアーA:はい。最後になりますが、他の災害地と、あとは、これから災害起きるかもしれないとこの農家の人に伝えられる事、伝えたい事とか。

男性:伝えたい事。

インタビュアーA:はい。

男性:さっき言ったのと同じで、災害あった時に頼れるところとかそういうネットワークはつくっておかないと、多分、いざ、そうなった時に厳しい、大変だと思うので。

インタビュアーA:平時からそういうのをつくっておくっていう事ですね。

男性:うん。それが他県であったり地元の違う自治体のところの酪農家さんとかそういう人達と交流図っておいて、何か災害の時はこうしようねとかっていうそういう懇談会とかミーティングじゃねーけど話し合いとかができる場とかもつくったほうがいいのかもしんないなとは。福島の原発事故とかそういう地震のあれがあってそうは思う。

女性:サミットって事。

男性:サミットつうか、本当は自治体とかがそういう、あとは酪農組合とかそういうところが中心になってそういうあれをやってくれると一番いいのかなと思うけど、そういうあれがないんであれば、個人的に付き合いがあると思うんですね、酪農かって、そういううちの牛を買ってくれたとか色んな繋がりであれがあると思うので、そういう人達とももっとコミュニケーションを取ってで、災害の時にこういう風なね、力をお互いに協力しましょうよみたいななんかはしておいたほうがいいのかなとは。

[00:40:04]

女性:絶対いいと思います。

インタビュアーA:そうですよね。

男性:あとは、それができない人って絶対出てくると思うんですよ。ちっちゃい農家さんとかそういう人達って。そういう農家さんを、災害について、支援するグループとか団体とかが。それを酪農っていうかそういうとこがやってくれればいいんだけど。何かそういう団体的なものとかがあれば、まだ違うような気もする。

女性:うん。集団でね、交渉とかもできるし。

男性:そうそう。

~よもやま話のため、中略~

インタビュアーA:分かりました。そうなんですね。ちなみに、ヤギと羊で餓死とか、事故死とか、殺処分とか、震災の時に死んでしまったのっているんですか。

男性:殺処分はいないな。

女性:いないと思います。

男性:聞いた事ない。

インタビュアーA:餓死した羊かヤギっているんですか。

女性:イイタカさんとこは。

男性:富岡にいた何頭かのヤギと羊はどうなったかは分かんなかった。

インタビュアーA:行方不明みたいな。

男性:うん。

女性:2頭ぐらいはいたんですよ、その羊が。少なかったよね。

男性:2頭だか3頭。あとヤギ。

女性:ヤギが1頭とか2頭だったよね。

男性:うん。2~3頭だよね、いても。その人は、うちら見に行ったけどもいなかったもんね。

女性:うん。

男性:いなかったから、その人のところだけは分かんない。どういう風に餓死したのか、連れて行ったのか。分かんねーな。

女性:うん。

インタビュアーA:あの小川原で、線路上で草食べてヤギは、あれは。

女性:あれもどうなったのか分かんないですね。

男性:ああ。

女性:いました。私、そのヤギ会った。

男性:あれでしょ、アカマさんが言ってたやつでしょ。

女性:うん。オスヤギで角があって。ちょうどあんにゃぐらいの体格のやついた。

男性:うん。

女性:あれどうなったんだろ。

インタビュアーA:記録が家畜保健所のほうでもないみたいで。

女性:でも、ヤギとかって自然に放つととっても生命力高いので、餓死するっていうのは。

男性:あんまりないよね。

女性:ほぼないと思います。

男性:量もそんなに牛とかよりは食べないので。

インタビュアーA:そこら辺の草で大丈夫なんですね。

男性:冬とかも笹の葉っぱとかも食べるからね。

女性:自由であればほぼ死なないのはヤギ。羊もそうだと思います。

インタビュアーA:そうですか。分かりました。すっごい努力されてるけど、それ言わないんですけど、最後に未来へのメッセージで、何か自分達が頑張る時に心のモチベーションじゃないけど、言葉とか他の人に伝えたい何かありますか。姿勢とか考え方とか。伝えたいメッセージみたいな。

男性:楽しむ。あとは、常にチャレンジ。

インタビュアーA:はい。分かりました。

男性:そう。

インタビュアーA:なんかすごい分かる。

男性:ただ、これがダメだってなった時に、じゃあ、違う方法でそれが可能にできる事はどうかって考えるほうなので、だから、今、福島では放牧ができないですよね、じゃあ、どうやったら自分達の理想のその羊の牧場ができるかってなった時に、今、北海道旭川に30ヘクタールの牧場買ったんですよ。

インタビュアーA:誰が。

男性:うちが。

インタビュアーA:ちょっと待って。

男性:そっちで放牧をさせる。

インタビュアーA:そうなんですか。

男性:はい。こっちでできない。

インタビュアーA:30ヘクタール。

男性:30ヘクタール。

インタビュアーA:すごいじゃないですか。

男性:そこに福島で育った羊、子羊を持っていってそっちで自由に放牧さそうって言って、じゃあ、北海道でやればいいじゃんっていう話になりますよね、だって、福島では放牧もできない、制限がある、色んなものがある、だけど、言ったように、やっぱ、福島の羊文化を守っていく、いずれうちらだけじゃなくて羊の牧場やりたいとか、こういうものでこういう事やりたいっていう人達が増えてほしいっていうんで、いずれは日本で唯一の羊、ヤギの家畜市場をもう一度再開してもらうっていう目標があるので。

女性:福島で。

男性:そう。それは福島なんですよ、やっぱり。

女性:北海道じゃないんですよ。

インタビュアーA:そうですよね。

男性:そう。

インタビュアーA:ここの地元民として、そこは。根はやっぱりこっちで。

男性:そうそう。でも、できないから、取り敢えず、北海道でそういう自分達がやりたい羊の飼い方をやるっていう感じだね。

[00:55:00]

インタビュアーA:理想を追求する力が強いですよね、吉田夫妻は。

男性:でないとね、つまんないっつうか。つまらないのかな。

女性:やるからには、やっぱり、死んだ父が思っていたように一番じゃないと。中途半端にやるんだったらもう大変じゃないですか、自分がやったとも言えないし、思った通りに、もちろん、それは大変なんですけど、思った通りにできないんだったら自分が携わる価値がないっていうのがすごくあります。

男性:難しいものにチャレンジすっから面白いんですよ。

女性:難しいんだよね。本当に難しい。

男性:くそーっと思いながら。

女性:だから、くそーっていうのが、ちょいちょい自分の燃料になってまた自分で推進力得てるっていう。

男性:そうそう。今もそうですよ。羊のミルクで加工品をつくりたい、もう10年も経っているのにね、じゃあ、羊のミルクを放射線検査しなきゃなんないのかどういう形でやんなきゃいけないのか、それ今から検討なんです、農水省が。うちらはもうやりたいのにそれができない。多分、農水省からすれば、ここでやんないで北海道で、それだったらミルク搾ってそっちでやればいいじゃんっていう話になるのかもしんないけど、そうじゃないんだよねっていう。福島でそういう事をこれからやりたい人はね、できないじゃないですか。じゃあ、できるようにすんのにどうすればいいかっつう部分を農水省と戦ってでも扉を開いていかないと、福島でやりたい人達が、こういう制限があってできないって諦めていかなきゃなんないっていう形になっていくので、その扉を開く係をやっていこうかなでいいですか。

女性:そんな丁寧には開いてないんですよ。

男性:開いてねーけどね。

女性:ハンマーとかで殴ってるんですけど。

男性:まあね。

インタビュアーA:それで羊市場を復活させたいっていうか。

男性:そうそう。それが最大の目標だよね。

女性:ですね。

男性:あの鼻で笑われたのがすごくくやしくて。

インタビュアーA:鼻で笑われたんですか。

女性:あー無理ですよって。

男性:無理です無理ですみたいな。

インタビュアーA:そうなんですか。

男性:すごいムカついたよね。

インタビュアーA:それがまた推進力に。

女性:なってます。

男性:そう。

女性:本当に。

男性:大体言われるのが、それ言ってんの吉田さんとこだけですよねって言われるんですよね。

インタビュアーA:そうなんですか。

男性:どこでも。

インタビュアーA:そうなんですね。

男性:結局、羊をやってるところが少ないから。吉田さんとこだけなんですよねって言われるんですよ。

インタビュアーA:でも、それを復興に繋げたいっていうか、復興させたいんですもんね、ダイレクトに自分達で。

男性:そうそう。

インタビュアーA:すごいと思いますけどね。

男性:だから、仲間はほしいんだよね。

女性:仲間はほしいんですけど、同時にライバルも増えるんで。頭が。

男性:そうなんだよな。

女性:そうなんです。再来週も〇〇の市役所の方が視察に行きたいって言ってお受けしたんですけど、仲間が増えて羊が物理的に増えれば交渉力も上がるんですけど、同時に市場も食い合うっていうか。

男性:まあね。

女性:負ける気はないんですけど。

インタビュアーA:みんなでレベルアップみたいな、本当は理想の形になったらいいですよね。

男性:一番はね。

インタビュアーA:あの福島のお酒みたいな。

男性:そうそう。

インタビュアーA:みんなで共栄して全体でレベルアップして世界からも注目される存在。

男性:でも、俺らの中では、これは福島じゃなくて浜通り、みんな、じいちゃんが同じ事やっちゃってて。分かりますか。個性がないっつうか、その自治体自体の。こっちもかいこっちもかいみたいな、みんな同じ事じゃなくて、その自治体ごとの個性をもっと出したほうがいいなとは俺は思ってんだよね。

~脱線のため中略~

女性:多分、笑える程の逆境なんですよ、ここは。福島県自体が。

男性:確かにね。

女性:中途半端に諦めるレベルの逆境じゃなくて

インタビュアーA:今の面白いもう一回言って。はい、もう一回。

女性:福島県は逆境感が突き抜け過ぎてて、逆にチャレンジできるんですよ。

インタビュアーA:中途半端な逆境ではないから。

女性:もう、諦めるとかやめちゃおっていう感じじゃなくて、環境が厳し過ぎる。人もいない、市場として成立してない事もたくさんある。30年、40年産業として復活できない品目もたくさんあって。だからこそ、もうやってみようっていうものしか残ってないんだと思います。

インタビュアーA:すごい分かります。

女性:そうなんですよ。3月近づいてやっと思い出してもらえるぐらいにしかなっちゃってないのに。

インタビュアーA:なかなか、本当にこの10年を、10年目を逃したら、他でも災害いっぱいあるし、コロナでみんなでワーワー言ってるからあれかなと思ってんですけど。

女性:逃しそうですね、なんか。

インタビュアーA:でも、絶対残ると思います。こういう形は残ると思います、これからの10年って。

女性:でしょうね。今までのやり方が全部通用しない。

ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました