※「被災牛と歩んだ700日 東日本大震災における被災家畜対応記録集」より引用
①種:酪農
②頭数:60頭
③電気:〇
④水道:牛舎の温水器の配管が壊れる
⑤エサ:不明
⑥当時のエサやり(通った)頻度:不明
⑦震災当時の状況把握:3月12日夕方、避難報道を知る。3月14日、搾乳が終わり牛乳の廃棄をしている時に原発でまた爆発。3月15日、30km圏内避難要請を受け、午後に避難を決心。(原発から18㎞付近)
⑧放牧:牛たちは牛舎にいた。
⑨牛の移動:不明
⑩金言:不明
40数年前(2015年時点)に北海道から1頭導入して始める。規模を拡大して3年前(2015年時点)息子さんも酪農を手伝う様になり軌道に乗り始めたところ災害に見舞われる。
2011.3.11 – 牛舎の温水器の配管が壊れるも、電気はきていた。搾乳などには問題なし。
2011.3.12 – 妻と搾乳するも集乳者が来れないので牛乳を廃棄。夕方避難報道を知るが、牛を捨てていくことは出来ないと搾乳しながら妻と話す。
2011.3.13 – 搾乳、廃棄を続ける。当時出産ラッシュで、ミルクを飲ませている仔牛が15頭いた。(こんな小さな仔牛を置いて逃げ出すことは出来ない)
2011.3.14 – 搾乳が終わり牛乳の廃棄をしている時に原発でまた爆発。
2011.3.15 – 30km圏内避難要請、午後仕方無く避難を決心。最後に仔牛にミルクを与え、お産間近の牛に栄養剤を飲ませて牛舎を後にした。
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