※「被災牛と歩んだ700日 東日本大震災における被災家畜対応記録集」より引用
①種:和牛
②頭数:不明
③電気:〇
④水道:〇
⑤エサ:ある程度
⑥当時のエサやり(通った)頻度:妻が避難先から、餌を与えに通っていた。
⑦震災当時の状況把握:✖(原発から20㎞付近)
⑧放牧:不明
⑨牛の移動:不明
⑩金言:不明
2011.3.11 – 市役所で被災、その後も屋内避難区域となった原町区の親戚宅に身を寄せ市民の避難誘導や災害対策本部とのやりとりで忙しく牛のことは頭になかった。妻が避難先から、餌を与えに通っていた。
2011.4.22 – 警戒区域内家畜殺処分にあたり、継続飼養と通行許可を国、県、市に働きかけた。「緊急衛生対策事業」(死亡家畜への石灰散布、放れ家畜などの見回り警戒→公益性ありと認められる)として通行許可おりる。
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