※「被災牛と歩んだ700日 東日本大震災における被災家畜対応記録集」より引用
①種:酪農
②頭数:不明
③電気:〇
④水道:〇
⑤エサ:不明
⑥当時のエサやり(通った)頻度:0日
⑦震災当時の状況把握:不明(原発から25㎞付近)
⑧放牧:不明
⑨牛の移動:不明
⑩金言:不明
2011.3.11 – 母の受診のため病院に。夕方、酪農組合職員が工場が壊れたので翌日の集乳は出来ないから廃棄するよう通達に来る。
2011.3.12 – いつものように夕方の搾乳を終えたところ再び酪農組合員が訪れ、原発が爆発したので牛乳の引き取り手がない、廃棄するよう指示。(頭真っ白に)息子一家に避難促すも家族全員でなければ避難しないと言われ、牛を残して高崎へ避難。(後悔の毎日、牛のことが頭から離れず)
2012.4.16 – 警戒区域が解除され、牛頭観音を建て、牛の供養を行う。
コメント