※「被災牛と歩んだ700日 東日本大震災における被災家畜対応記録集」より引用
①種:酪農
②頭数:不明
③電気:✖(知人が発電機を貸してくれた)
④水道:✖
⑤エサ:ある程度
⑥当時のエサやり(通った)頻度:0日
⑦震災当時の状況把握:ある程度(原発から15㎞付近)
⑧放牧:牛たちは牛舎に。2011年8月、自宅前で3頭の牛が草を食べていると知人から電話が。
⑨牛の移動:不明
⑩金言:不明
2011.3.11 – 集乳業務を終えタンク内洗浄中だった。揺れが収まるのを待って帰宅。すぐに牛舎に向かう。牛たちは鳴いていた。地震で電気が止まり水が飲めずにいた。川からバケツで水を汲み与えた。
2011.3.12 – 知人が発電機を貸してくれたので朝の搾乳を終えた。9時頃原町馬事公苑へ避難。11時避難解除。避難準備をして待機するよう行政から指示。1号機爆発。牛舎で搾乳を終え家族と原町の娘の家へ一時避難。
2011.3.13-14 – 妻と搾乳のため自宅へ通う。
2011.3.16 – 夜半、知人夫婦と妻とスクリーニングを受けバスで原町を出る。
2011.3.17 – 9時頃、群馬県吾妻町のホテルへ到着。ある日知人から電話。「自宅へ戻った際に牛舎に寄り餌とバケツに残っていた水を与えてきた。牛はまだ元気な様子だった。牛舎を出るとき鳴き止められた」(涙する)
2011年6月 – 地域の方への迷惑はかけたくない。放れ牛が自分の牛ではないかと心配。
2011年7月 – 殺処分の同意書届く。印を押す。
2011年8月 – 自宅前で3頭の牛が草を食べていると知人から電話。(心が痛む)
2011年9月 – 家畜保健所より牛舎内の清掃を終えたとの連絡。
2011年12月 – 家畜保健所より原町区で牛発見との連絡。
2012.1 – 浪江で牛発見。
2012.4.16 – 自宅への立ち入り自由に。自宅の敷地内でもう1頭発見。
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