※「被災牛と歩んだ700日 東日本大震災における被災家畜対応記録集」より引用
①種:酪農
②頭数:不明
③電気:〇
④水道:〇
⑤エサ:不明
⑥当時のエサやり(通った)頻度:4/21まで3回見回り
⑦震災当時の状況把握:ある程度(原発から22㎞付近)
⑧放牧:2011年4/15、放牧場へ牛を放った。(1ヶ月給餌されなかった牛はよろめき、歩けなかった。草を食む姿に心和んだ。)
⑨牛の移動:不明
⑩金言:不明
2011.3.12~14 – 朝から集乳不可能。14日まで牛乳を毎日廃棄。
2011.3.14 – 原発爆発により避難指示。夕方の搾乳を済ませ夜9時過ぎ相馬市の親戚宅へ避難。
2011.3.17 – 許可を得て小高に入る。牛農家5戸を見て回る(哺育牛は全て死亡。性牛20頭以上死亡)家畜保健所と市役所によって早く安楽死の処置を依頼。
2011.4.15 – 牛舎見回りに各戸回る。余震のためか水圧が下がり水が飲めずにいる仲間の牛舎もあった。途中会った動物愛護団体の人との協議の結果、放牧場へ牛を出すことに。(1ヶ月給餌されなかった牛はよろめき歩けなかった。草を食む姿に心和む)
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