※「被災牛と歩んだ700日 東日本大震災における被災家畜対応記録集」より引用
①種:和牛
②頭数:不明
③電気:〇
④水道:〇
⑤エサ:不明
⑥当時のエサやり(通った)頻度:不明
⑦震災当時の状況把握:2011.3.17、福岡の息子のところへ避難し、4ヶ月滞在。その間、南相馬の情報は甥が送ってくれる民報と民友が頼りだった(後に南相馬へ戻る)。(原発から22㎞付近)
⑧放牧:不明
⑨牛の移動:不明
⑩金言:不明
2011.3.11 – 母屋から這うように庭に出る。
2011.3.12 – 原発爆発で隣の小学校に集まっていた避難民はいなくなった。なぜか緊迫感なし。
2011.3.14 – 相馬市の農家仲間の親戚宅へ避難。
2011.3.17 – 福岡の息子のところへ避難。4ヶ月滞在。その間、南相馬の情報は甥が送ってくれ る民報と民友がたより。後南相馬へ戻る。
「生きている 知らせを聞きて検問を 幾度か抜け 牛飼いに行く」
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