鵜沼ひさえさん(双葉町・帰還困難区域)67歳

①種:肥育繁殖一貫 

②頭数:約50頭 

③電気:✖停電(ソーラー発電機は電牧のものがあった) 

④水道:❌断水。ふろおけとか2日分の水を溜めるものはあった。ポンプはあったがポンプで汲めるほど水が溜まらなかった。バケツで汲むのが精一杯。 

⑤エサ:ホールクロップ50個+いっぱい。5月分まで。 

⑥当時のエサやり(通った)頻度:(原発から)2キロは近すぎてすぐに避難せざるを得なく、埼玉からは通えなかった。 5キロや10キロ位離れていたら私も牛を世話してた。雪の降らない勿来ぐらいなら通えた。

⑦震災当時の状況把握:ある程度の状況把握はできていた(原発から1.7㎞付近)。 

⑧放牧:田:1町2反ぶ(3端部が4枚)、借りた田んぼ(3町歩)、全部で5町部が田んぼだった。自給自足。電気牧柵使用経験あり(説明書読まないと、ソーラーだと初めての人には難しいかも)。  

⑨牛の移動:スーパー家畜車があった(4頭乗せられる。牛が自分たちから乗るほど慣れていた)。  

⑩金言:

「かわいそうだった。」

双葉郡の皆さんは牛の話はしたくない。

今だって牛の鳴き声聞こえて。

牛にかせなきゃ(餌やりしなきゃ)って今でも考える。」

黒い牛はどこででも生きてるから。

歩くのを止めるのは一番楽。でも止めないでほしい。」

⑪避難して関東へ。一時帰宅の際、怖くて外に出れず牛舎内で亡くなった子牛達(+母牛)を発見。

放浪していた生き残りは2012年ごろに他の牧場へ移送。

鵜沼さんです。自己紹介からお願いします

鵜沼久居と申しますここの住人ですよろしくお願いします

じゃ早速なんですけどご案内していただいてよろしいですか

どちらに行ったらよろしいですか私の家に行きます

まずご自宅 

すごい綺麗になさってますね 

もう家の中に竹が生えている

本当だ家の中に生えている

もう怖くてこうなると入れないよね

すいませんいろいろ質問しても良いでしょうか

あの地震で屋根がこうなったんですか

いや違います。10年経って去年の秋来た時にこうなってたんです徐々に崩れていったという感じです

人が住んでないことで崩れていったってことですね

はいそうです

地震の直後には困ってはなかったってことですね

なってなかったですまだね普通に家が壊れてなかったってかブルーシート敷いててね、それで住める感じ

やっぱりその点はご自宅が丈夫だったんですね

昔の家は丈夫だね。

柄の歌に固定しないで立ってますもんね。やっぱりいい家ですよね。

石ころ置いたんのにね、柱がずれてないのよ

昔の家の方が全然強いから

そうそうそう

じゃあショックですねこういう風になっちゃって

徐々に壊れていったの雨風でね。あの時はね耐えてたんだよ。

あれで?あれが一番すごかった気がするのに。なんか機械ありますね

これは稲を脱穀する機械。みんながいるから入ってこ(笑)

ここにさ米糠の機械あったんだけどさ、5年経ってから盗まれたんだよ。

へー。そんなことあるんですか。

5年経ってからって随分遅いですね。

でも5年が経ってからさ、米が食べれるから持ってったんでしょうね。 米が食べれなかったら持っていかいよね。普通に考えて。 イノシシが来てもそんなに家の中を荒らさなかったな戸の開くか開かないか所に機械が置いてあったから 。したらね機械が家の方に移っちゃっててこれが避難した時に干してあった洗濯物です。

そうですよね。うわー。

なんかDEFと書かれてますけどこれは何ですか?

どっかから貰ってきた。

これは資材置き場みたいな感じ。あ、これ牛の桶で使うやつ。

根本さんにも聞いて、双葉牛はかなり良かったっていうことでよそから買いに来ていたらしいですよね。

そう。埼玉に行って褒められましたもんふたばの牛は良かったなーって。鵜沼ですって言ったら、あ俺お前の牛で儲けたんだよって。ひいじいちゃんの代からのバクロ仲間だったそうで、ほいでそんなこと言ってたよ。お前の牛で儲かったなーって。

じゃ鵜沼さんの牛ってわかってるんですね。

うんうんうん。安かったからね。

あれですよね、粗飼料多めにあげて胃袋をしっかり頑丈に作る。

子牛の時は小さいんだけど、自分で研究してみてやってみると大きくなるね。

すっごい。

ほんでね昔は種牛を残して県定機っていうのがあってね、それを付けてさオタクの家は大ちっちゃいから駄目って言って返してよこしてさ、んじゃいい私がそれてるからって言って、ほいで15ヶ月ぐらいになるとせりに行って帰ってきてくると肥育の餌に始まるでしょそうするとどんどん大きくなるんだよ。それでまた買い上げになるんだよ。いらないって言ったからいろってね。私がやってんだからってって言ったらね、ダメって言って絶対これは連れて帰れないといけないってね。

やっぱり見る目がなかったんですね。

いやあの10ヶ月くらいと小さいの。220キロぐらいしかないの。

坂本さんってご存知ですか?自分でするとすごく分かるって言ってらっしゃって、どうしても肥育だけで出荷しちゃうとちょっと値段も安めに設定されちゃうけど実際はここの牛すごいよくて飼育と繁殖の一貫経営をやりたいみたいな感じでおっしゃってて。

お父さんがさ定年になっちゃったからさ今度は牛をやろうって肥育をしていこうで自分の決めた値段以下では絶対に売らない。そして自分でずっと競ってるの(笑)自分の牛を。こんなんじゃあんたに売ってらんないよっていうのは持って帰ってくるからその子あと10万足すからって。良いって私がやる。強いなこの母ちゃんって。

しっかりされてる方の方がやっぱり安心ですよね。

よくわかんないけどね。そんなやり方始まったとこだったので。

旦那さんが定年退職されたんですか震災前に。

そこの前にでっかい 、  

8:48〜9:09 音声が乱れて聞こえなかった。

あの67でございます(笑)

あーそうなんですねちょっとびっくりしました。 

あそこの上から私を見てあーだこーだって職人の方が言ってましたね。(笑)

やっぱ見えるんですね。

今日は何やってんだかって(笑)

でも機械を出す時にみんなでわああってきて凄く。

それは本当に助かりますよね。

ここはお風呂だったんだけども、竹なんかなかったよね、、、

俺も所有のやつだったんですか?

そうですここにトラック3台眠ってて全部で4だいあったの。

トラックは炊き出しとか牛の餌持ってくとかに使ったんですか

そうです。 牛のエサを持ってったり車がいっぱいある助かるのよ。

全部2トンのやつですか?

そうですね。

一番使い勝手がいいですよね。乗っけるときとかも楽ですよね。

すごい農作業とかやったんですね。

やらないと。

女性はそこまで出来る方ってなかなかいないから。池田さんって方は本当にすごいと思うんですけど。でも他の女性の方でそこまで行ってらっしゃらない方はいないので、

あははははあはははは

鵜沼さんすごいですね。びっくりしました。じゃあ運転できるって事ですねすごいですわ。

もちろんできないと〜(笑)

そうですけどマニュアルですもんねこれ。

そうだそうだ。でもトラクター使うとさ別になんでも。

私まだマニュアル免許ないんですよ。

あそうなんですか。

すごいなーと思って。トラクターのれるんですからマニュアル免許取ってないんですよ。

トラック用だったら楽だからね。 安いし動かなくていい。(笑)

ここに牛は何頭ぐらい買ってらっしゃったんですか?

子牛もいてよくわかんないけど全部で50ぐらいはいたと思う。

あーすごい。50だったら餌の量がすごいですよね。そこの農地あるじゃないですか。そこは一反ぐらいあるんですか。

一反じゃきかないんじゃないかな。4、5反くらい。牛が自由に出入りして。あっこの家から牛を見てると発情が来てるねとか生まれそうだねとかみんな分かるんだ。家の中でだいたい観察するんだ。

超良いじゃないですか〜。(笑)家の中からわかるとだいぶいいですよね。

後は鳴き声したりね。でもねひどかったのはね、ここ牛が散歩してんだよ。電牧超えて。この牛がどうやって電牧超えてるのかなって思って私またいで入るじゃないですか。牛は覚えるんだね。(笑)私がいるのを見て。そしてね今度はね電線と電線の間に潜ったらね牛も入ろうとやろうとしたけどね、ビリってこれはやばいって。あはははは(笑) 

本当は賢いですよね。

でね背の高い木をね折って電牧にくっつけてくるんだよ。頭いいなと思ったんだ。

ごめんなさいどういうことですか?

枝折って電線にくっつけるとそこでショートして電気来ないじゃないですか。それで飛んで出てくるの。

牛が?それ賢こ過ぎません

毎日毎日やれるもんだから私がどうやってこいつは出るかなと思って決まった子なんだけどね。もちろんメスしかいないからね。

はー賢いですね

ぐるっと回ってみると他にはショートするところがあると。うわー誰がやったかって言ったら牛がやった。だってここには自分の決まった餌しかないじゃないですか。こっちに来れば青いのいっぱいあるでしょ。それを狙ってるんだね。

よだれ垂らして見てるんでしょうね。

一匹が出るとみんな俺も俺も俺もってドロドロだ。家の前とか隣の田んぼとかねー。

電柵で囲ってらっしゃったんですね?

はいはい。 

電柵の電気を家からひでたんですか?

いやいや今流行りのソーラー。

昔からソーラーで放牧されてたんですか?

そうですね。

牛舎も見さしていただいてよろしいですか?

ここはさっきみたいに柳の木とか生えてないですよね。

ここね柳が入るような状態の場所ではないんだよね。あの乾燥してっからここ。

畑と田んぼだと田んぼの方が生えるのがすごくて

ここは肥育と子牛がいた。

すごいしっかりとした囲いですよね。

建設とか何でもしたよ。これも一人で建てられるんだっけ。鉄骨だから自分で自由だよ。屋根張りの時は私が屋根の上に立ったんだよ。だってさこの屋根の寸法私が切れないからお父さんが下で切って上にホイって投げて私がトントントントンとやって。穴は開いてるからフックが引っかかるようになってんだね。ぐりぐりぐりぐりってやるとさ。

すごいですね初めて見ました。やっぱ台風でも飛ばないですもんね。

よかったよ。でも日当たりが少し悪いんだよね。中はちょっと寒かったんだろうね。この時間になると日当たりが良くなるからいいけど朝のうちは。

あらぁホテル?コンタクト?扇風機もあるんですね。あれ200 Vですよね?

300Vかな。

まーじで凄いですね。これはコンプレッサーだねやっぱ色々コンプレッサーがあるとシューって払えるから掃除とかでもいいですよね。

設備がしっかりしてますね。 これビニールですか?まだ使えそうですね。

よかったら持ってってどうぞ。でも10年経ってるから使えるかわかんない。 あこれまだ使える。

これ高いんですよね。原町のヤンマーで買ったら一巻で1万2000円するんですよ。90センチサイズのこれの2倍のやつだと一巻で24000円してすごい高い。コメリだと半額で安い。

だから注文で買う一気にいっぱい買わないと。こんなの箱20箱あってもすぐなくなるんだよね。

消耗品ですよね。

もしよかったらどうぞ使ってどうせ捨てるんだし。

ありがとうございます欲しい。じゃあ全部色々自分でされてたんですか餌作りから大変でしたねそれはすごいですわ。

逆に色々自分で勉強する事があったね。 受胎率が何で悪いのかっていうのも食べてる草が悪いのかそこにどういう肥料を使えばいいのかとかみんなやりましたから

いつから餌は作ってらっしゃったんですか?

平成7年頃から。最初は何も知らないから自分で堆肥持ってって散らしたらその結果が受胎率が悪くなったの。リンとカリンが多くなってって栄養のバランスが悪くなってくんだよね。

一反あたり2トンぐらい入れてやってた感じですか?

ですねそれでやってた。うまくいかなくなってそれを解消するにはどうしたらいいだろうがあって勉強したね全部自分で。結果受胎率がすごく良くなったね。

すごく良くなる肥料はあれですか?

石灰だね。ただの火山肥料だけじゃダメだし。そういうことは結構やってましたね。だからなんだ。四年で5、3くらい。

すごいそんな上手くいくもんなんですか。

受胎しないそういうのもいるけど、1年もしないで2回ぐらい生まれる。そこら辺ではすごい成績は良かったね(笑) 

1年1産でもすごいなと思うけど。

親牛が2、30頭いる中で半分くらいはそういうのがいたんだよ。種牛って決めつけるじゃないですか夜でもする。それでも受胎しないのは獣医さんに頼むけど、時間が計算できる。この時間に生まれるからこの時間に種付けするていうのが分かるじゃないですか。だから受胎率が良くなったの。

全部一から計画されてたんですね。コツコツと準備して。

そこまでなるには本当に。

10年やるまでそこにベテランでもいかないですね。

家の牛は本当にかわいそうだった。

あの震災の時の話を牛舎でどういう風な状態だったか揺れがあった時からお話をいただければと思うんですけど。

じゃあちょっと移動した方が良いかな。

立派な鉄骨だったし大丈夫だった軽量鉄骨なんですね。

あそこにあるまだ完成してなかったんだけどあれは牛舎です。お父さんと二人でやっててあと一週間もあったら牛が入ってたという。

本当だほぼほぼあれですよね。コンクリートから打って。

すごいめっちゃいい牛舎じゃないですか。

27:20~ 28:30 音声が乱れて聞き取れない。

お父さんと二人でも自分ができるのは何かって考えると高い所に登って命綱つけて作業することなのね。

なんかイベントで使えそうな屋根ですよね。

パイプだけでは腐るからコンクリート入れとけば、いちおホームセンターに行けば揃えるような内容なんですね。 

震災前に50分くらいでしょうかってでそこで旦那さんと二人三脚でやっていて牛舎から堆肥小屋からいろんな設備を増やしてバリバリに行ってらっしゃった鵜沼さん震災の時に地震発生時の時はどこにいたんですか?

家のところ屋根と屋根の間にいて、瓦が落っこちてきたら私は死ぬなと思って立ってらんないからしゃがんでて。あの日は野良作業っていうかまだ寒いからね牛小屋の様子を見てそうだねそんなゆっくりしてた時間だったよね。

すごい突然揺れて。

普通地鳴りするんだけどね。だから急にだからしゃがむしかなくてそして揺れに揺られててそしたら牛は朝土煙上げてテレビでよくやるじゃないですか外国の牛がドドドドって走り回っててこっちの子もそっちの下の牛も怪我しないかなってくらい。

その子達は何時ぐらいに落ち着いたんですか?

夕方までかかったね。家に入っては出てき家に入っては出て行き、行ったり来たりしてたね。私は一人暮らしのおばちゃんがいたからそこに救出に入ったのでお父さんには群れの真ん中に立って大丈夫だ大丈夫だって声をかけててあげてって言ったんだ。誰かがいれば落ち着くから。まあそんなことかな。

助けに行かれてて車は普通に全然行けたんですか?

私が走ってる時はね。孫が南小学校にいたんです。そこのおばちゃんを助けて集落をぐるっと回って全然その時は道通れたのよ。

そうなんですよね。それでそのおばちゃん大熊の親戚の家まで送ってって、おばさんの所も行けたのちゃんと暗くなってそのおばちゃんち行ってみたらも段差で車が通れなかった。時間差で落ちたね。私軽だったから小回りが効いた。街の中とって南小学校に行く間がひび割れてたのかな。街中回ったけどそん時はそんなに壊れてなかった。

その時の気持ちとしては結構落ち着いていらっしゃった

とにかく孫を迎えに行かないといけないってことでそんなに。後で聞いたんだけどそんなに津波が来るってね情報としては全然入ってなくて、防災音も全然聞こえなくて父さんはなってたって気づいてたんだけど 、家の防災無線が津波だ津波だって言ってたんだって。

ここから大熊まで近いんですか?

こっから100 M まで行けばもう大熊です。

それから隣の家の家族が避難できないでいるからその子たちを乗せてここから3 km の所の集会所に送り届けて、自分は二人で家に帰ってきてもう真っ暗だからおばさんの様子を見に行って車の中で二人で揺られてた一晩中揺られてたよね。家には入れなかったよね。真っ暗で電気もなかったのよね。ここは大熊の電気が来てるんですよ。うちと隣だけは。他は双葉町から来てるんだけど。すぐ停電になった。

水とかってその時出たんですか。

いや全然出ない。どっかで水道管破裂したとかだと思うな。水道は双葉の町から来てるから近いはずだけどね。井戸はさっきの上がった家にあったんだけど枯れてしまって。東電で井戸を掘ったら家のは出なかった。震災前に枯れてたね。この辺湧き水がいっぱいあるから。牛にはその湧き水を飲ませる。バックの中に勝手に湧いてるものがあってそこの水をいっつも牛飲んでたしこっちはこっちで水が出てきて牛は水には不自由しなかったけど餌には不自由したね。ここにいっぱい藁が積んであったから家の牛はそれで生きてて。

ホールフロックはどこから買ってきて後ですか

家で作ってるやつだね

なんでもやってますね。

人の餌作るよりも牛の餌を作る方が大事だ。

あははははは(笑)

津波の時は携帯持ってましたか?

持ってたんだけど繋がらなくてわかんないけど揺れが収まったらもうダメになってね、全然通じなかった。津波の情報なんて全然わからないねうちはね。停電してないところは情報が入っててわざわざ見に行った人もいる。

その後はどういう感じで避難をされてからどんな行動されたんですか?

親子3 km 先の集会所に連れて行って、私達は2.5km ですここはね。そしたら避難指示が出たら2kmまでなんだって。それを知らなくてお父さんはこっっから65国道見えたから、みんな何で向こうに向かってくんだべってね、見ててあれたぶんここにあるなって言ってずっと避難指示なんか12日の朝7時までいたんだけども、誰も避難しろって何て言ってきませんでしたよ。私とここの家は避難することを知らなかった無理やり連れていったから11日の家に連れてったから避難はできた。その11日の夜は顔を出したんだけど私は心配だから車の中にいたから、夜なんて暗くてなんにもわかんないからねとにかくいるってことで12日の朝7時になったからさあて飯でもねえかなって役場の方に行ってみたら役場の人が一人いて何やってんだ早く避難しろってみんな河本に行くんだよってそんな言ったって牛に餌やってないってほんで来てからさ牛に餌やって水くんでそれで避難したのが11時頃だと思うなねそれからツシマに行って。

ツシマにはどれくらいいらっしゃったんですか?

3日ぐらい。12日が一回目の爆発だよね。次の爆発が起きる前にみんなは30 km 圏外に避難しろってことで今度は二本松に行ったんだよね。14日だと思う。12日に餌やって14日に今度もう1回来ようってそしたら牛を自由にしてやろうってお父さんが言ったのでそうだねって言ってでも2回目は来れなくて、そのまま。

ハドックに入ってたんですかそれとも旧車に全部入ってたんですかそれとも出入りできる放牧をしたんですか?

全部ができないから子牛は自由になれてたんだけど怖くて外には出れなかったんだよ。だから何頭死んでるか分からないんだよ。重なって死んでるんだから。死んでる牛が何頭いたのかも確認できないし。

パックに入った牛は何頭くらいだったんですか?

20。全部で50だとすると死んでた牛が15頭だからだから大半は自由になったんだよね。電牧も随分遠くの方まで引っ張ってあったから、隣の家の隣の家まで行ってたからその頭のいい子がやってそんで出たんだなと思うけどね。

その14か来れないってわかった時の気持ちどんな感じだったんですか?

肥育している牛は死んでしまうと思った。ある程度大きくなった子牛は親と一緒に逃げたかなって思った。そしてあんな電牧なんかいつも脱走してるんだからできるわと思った。半数以上はできた。

あと希望の牧場の内田さんのところの牛を2013年で移動したって話があったと思うんですけどそれは何頭くらいいたんですか?

よくわかんないけど10頭くらいは行ってるかなと思う。

それは生きてるっていう連絡が入ったからですか?

8月26日が一時帰宅の時だったからその時に牛舎を見て、あぁ大体この子がいなくなってるって分かるから。

外に出れなかった子牛とかは死んでたけど親も何頭か死んでた。

何頭かだけだったんですね。

そんなには死んでいなかったから。で逃げてどこにいったかなーって多分東電に行ってるなって自分の牧草地が東電にあるからそこにトラックで牛は運んでたから。東電のすぐそばに牧草地があるんだけど隣の土地がうちの土地で、ここだけじゃないんだよね。電牧を張っては牛を連れてって。

放牧させたんですねじゃあいい草がいっぱい入ってたんですね。それはどれくらいの面積だったんですか

よそんちのもやってたから結構あったよね2町3町くらい。これで連れてってたの。

じゃあ放牧慣れしてたんですね?

うんうん。覚えてたんだと思う。トンネルの中って通らなかったんだけど牛の糞が落ちてあったからトンネルの報道でどこに行ったかなと思って大熊の方でも放牧した時があったからそっちに牛がいて、たぶん覚えてるんだと思う。 南小学校の方にも離してたから鵜沼さんの家南小学校ら辺に固まってるよってて言うからどこ行ったのかなと思うんだけどあの頃の65国道の牛は白い線を出ちゃいけないの。電牧が白いからだから片側二車線を歩くの牛が。白い線をまたがないの一緒に歩いてみても絶対に白い線から外歩かないんだから移動する時も楽なのよ。近くに畑があるでしょう。そこに白い紐を引いておくとそっからそっちは出れないから。牛から見たら道路の線もその高さもわかんないから。 

えー初めて見たそんなお行儀よく1車線の中を行くんですね。困るよ車が来た時に避けないから。南小学校のところにも土地があるんですか?

耕作放棄地になってるとこの土地に牛を放してくれないかって言って色んな事やってましたよ。

そんな前からやれたんですねそんなこと。

家にいるのは冬の間3、4ヶ月だよ。後はお腹が大きくなったのはみんな行ってるんだよ。それで出産間近になると戻ってきて。

出張して草刈りしてたんですね。知らなかったすごい

だから鵜沼さんの牛は浜に入ってしょっぱい水飲んでそしたら山に行くって1日10 km の圏内から一週間に10 km 圏内から出ないんだって。郡山海岸にいって塩水飲んで。で波江を通ってぐるっと帰ってきて、あっちまで行ってたから。自分のいたところちゃんと覚えてくるくる回って帰ってきて。ここから東電に入って海岸に行って。浪江町に入っちゃったら困るなあと思ってたの。浪江町には踏み込まない双葉だけ歩いた。それは感心したね。であっちこっちに離れ牛になってる子がいるじゃないですか。その子を連れてきては囲って捕獲する所できたよね。 そこに牛を連れて行ってここに美味いいものあるぞって言って。長くここら辺をうろうろして。ここには戻ってこなかったみたいだね。ちょうじ原をぐるっと行ったらしいよ。

しばさんとかご存知ですか?

知ってます。

あそこでやってたんですか?

いやあっちまではいかないそこの下の方。

そこはどれくらい放牧されてたんですか?

面積が大きくてどれくらいいって言われても。あっちこっちだから。一箇所連れて行くとうちもうちもってなるから。家の牛草しか食べてないから臭くないんだよね。糞も全然臭わないって言われますよね。隣の家の家なんか野菜を持ってきてあげてこれは楽しみだって遊園地みたいだって。鳴き声しないし襲っても来ないしって言ってみなさんが楽しみにしてたよね。

じゃああっちこっち派遣してって感じだったんですね。

例えば3丁分電柵張るのに、どれくらい時間かかりましたか?2日とか?

いやいやそんなにかかんない。かかっても1日はかかんないよ。半日くらいでできる。大体電牧の時は私が担いでやってお父さんが紐を張ってでだいたいやるね。綺麗なところだと草刈りしなくていいからに2,3時間で終わる。

あらすごい 

双葉版レンタカウ話の後、

家畜搬送トラックの話。

牛が4頭自分たちで乗るという2トンダンプの幌(家畜を載せる鉄骨の枠組み)を見せてもらい、作り方を聞いたりして終わり。鉄工所に努めてたから自ら溶接したそう。すごい!マイDIY家畜車、見るのは2台目です。

技術話でしばし脱線。

すごかった。

黒い牛はどこででも生きてるから。

歩くのを止めるのは一番楽。でも止めないでほしい。」

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