ふくしまの牛を知ってくんちぇ!~豊かな自然で育った牛たち~
こんにちは。※【コニシ感想】でお馴染みのコニシです。本記事は題名にもあるように、ふくしまの牛たちについてご紹介します!
まずは頭数の変遷について

福島県の令和元年の農業産出額は2,086億円。うち、畜産の産出額は435億円。(農業全体の約20.9%。米、野菜に次ぎ第3位の産出額)
(福島県HP「畜産の姿」より)
1998年、福島県の牛が全国肉用牛枝肉共励会で日本一になった。
乳牛、和牛、それぞれのコンテストで入賞が多くなる。
トラクターの普及する以前は、牛は、馬と同様、農耕用(役畜)として、田畑を耕していた。
双葉畜協での耕作の歴史は120年あり、農耕馬を中心としてやっていた。
戦争中は軍馬の産地。
だんだん牛も飼うようになって結局お金になるのは牛の方だったため、昭和30年位に馬から牛にどんどん変わっていった。
富岡町に牛を普及させたのは豊田直助さん。
牛は農耕用以外に、牛ふんを取るために飼っていた地域もあった。(大熊等)
肉牛に変わってきて、日本全国からの血統を入れて、体格が若干大きくなった。
震災前は「双葉牛」として販売されていた。
子牛の評判は高くて、全国から双葉郡へ買いつけに来ていた。粗飼料を十分にあげて丈夫な体を作った子牛で、濃厚飼料は与えないという指導がされていた。濃厚飼料だと最後に餌を食べなくなるため、まずは丈夫な胃袋を作って、仕上げをよくする基礎作りをした子牛。見た目も艶も良かった。
農協グループと
畜産組合で出荷する先が二分されていた。
双葉郡畜産農業協同組合(畜協) :
1948年創立。
震災当時は、双葉郡8町村と南相馬市小高区、田村市都路地区等で、組合員は合計353人が肉牛を飼育していた。
頭数は1人3、4、5頭で、計2000頭ほど。
畜産組合圏内だった広野町でも、震災で双葉市場が閉鎖されたため、辞めた人が多かった。
最盛期は、楢葉町だけでも組合数が400人ほど。
双葉の市場(富岡町)は2日間やって1000頭強の子牛が市場に上場されていた。
年間6回開催で、12000頭ほどの取引があった。