被災農家の声【D:学生達の感想】

【小西さん】

【竹田美月さん】
インタビューの中で特に心に残った言葉が2つあります。
1つ目は、渡辺さんが牛を飼って幸せだったことについてお話されているときです。渡辺さんはその質問に対し、共進会でスピーチしていたときと答えていらっしゃいました。我が子のように育てた牛たちの晴れ姿を見るのが1番の幸せ。このエピソードから、いかに渡辺さんがこのお仕事に誇りをもっていらっしゃったかがわかります。
また、震災による津波で流されたものに牛の写真が載っているテレホンカードがありました。津波に晒され塩水に浸かっていたのにもかかわらず、現在も綺麗なまま残っているのはすごいです。これも渡辺さんの牛たちへの深い想いがあるから今も手元に残せているのだと思います。震災を伝える貴重な品々です。エピソードとともに大切に残していきたいです。
2つ目は、若者に向けたメッセージです。これからどんな災害が起こるかわからないからこそ、より一層「地域の協調性」を大切にしてほしいとのことでした。現在のコロナ禍でも同様なことが言えますが、未曾有の事態に巻き込まれたときこそ誰かと支え合って生きていかなければなりません。繋がりが薄れそうになるときほど、繋がりの大切さを再確認して自分から行動を起こしていきたいです。
インタビューからも伝わるくらい気配りが素敵で優しいお人柄をお持ちの渡辺さん。10年前当日75歳で震災に遭い、津波に流されてしまいそうになったときは「覚悟した」とおっしゃれていました。私が想像をはるかに超える辛い経験をされても、今回その経験を伝えてくださりました。私たちにたくさんの気づきを与えてくださることへの感謝を忘れず、「次世代の語り部」となって今回のお話を語り継いでいきます。

【安久津大成さん】
半谷夫婦を取材して、半谷夫婦がいかにも超人で元気の良い夫婦!って印象を受けました。しかし、半谷夫婦の住んでいる地域一帯は、動画で視聴した通りあのくらい元気で前向きに生活しないと、押し潰される、そのくらい過酷な環境であったということだと思います。
……
やっぱり、インタビュー動画を見ていると、やっぱり僕に託された使命感を感じています。 あまり言えませんが、80歳のお年寄りの方はもう10年も生きられないので、だからこそインタビューを許可して下さったと考えるようになりました。この間の福島にいた時の考えが表面的で凄い反省しています。特に半谷さんはスーパー元気な夫婦とだけ思っていましたが、あの地域では元気にしないと生きていけない状況なので、まだまだ考えが浅かったです。
坂本さんがまた牛を飼いたいとおっしゃっていて、震災を機に考え直すきっかけ、悪い事だけじゃないんだと考えました。

【竹下昌志さん】
以前、震災後数年経った後に、宮城県や福島県の震災跡地を見に行ったことを思い出しました。津波でほとんどのものが流されて更地になったことを地域の人に聞き、震災前後の写真を見て驚愕したことを今でも覚えています。
震災当時、私は中学生だったので、メディアで報道される映像ばかりを見ていましたし、それが全てだとも思っていました。このインタビュー中に出てくるような様々な人が、テレビに写されないところで頑張って苦労しているということを、最近になって認識しました。このインタビューは、私にそのことを思い出させてくれました。
インタビューの最後の方で石井さんが強調していた自給自足という生活は、「現代」に生きる私にとってなじみのない生活様式です。しかし石井さんの経験談や、インタビュアーとのやり取りから、その重要性を少しばかり認識させられました。現状の私の生活で自給自足に取り組むのは困難ですが、今のパートナーとの共同生活を始めたときに、どうやって取り組むかをパートナーと一緒に考えようと思います。

【橋本彩さん】
農学部に在籍しているくせに、震災時の第一次産業の状況を考えたことがなかった。
災害時、農家さんのその場での行動や餌ストック、畜舎の場所や自然条件がその後に大きく関わると感じた。その中には土壇場で判断してどうにかなることもあれば、水がないなどどうにもならないこともあった。また誰かが牛を放してくれたおかげで後で見つかった例もあれば、近隣への迷惑を考えつないだままにしたことで結局は衰弱死してしまった例もあった。
ベストな方法は分からないし、どの場合にも当てはまる正解はないと思った。ただし餌を一年分ストックできていたかどうか、停電でも水など供給できる設備だったかどうかは日々の備えがものを云う。農家さんの経済状況によるといってしまえばそれまでだが、勉強会や有事の対応・アフターケアを担う協力体制が必要だ。農家さん自らネットワークを形成すると共に、公的な補助や消費者の理解がなされていくことは可能だろうか。

【丸山さん】
避難解除されたからといっても、故郷が住める状況ではなかったりして戻らなかった人や、他の土地で暮らすという選択をした人がいるというのは想像に難くない。一方で、逆にそういったことに拘泥せず自分の信念や郷土愛から故郷に住み続けている人がいることも理解できる。どちらの人々が正しいとか是非を問いたいのではなく、私はただそういった人もいるという事実をより多く発信し、知ってもらうことが必要であると思う。
私は関西の人間であり、津波や原発事故の情報はテレビニュースで主に得ており、避難地区に牛などの家畜が取り残されていたことをテレビで報道することはほとんど無かったように記憶している。
そのため、解除されていない避難地区には人は住んでおらず、家畜なども殺処分されているものだと漫然と思っていた。この記事を読んで、避難地区に家畜が取り残されていたり、取り残された家畜を今なお飼育している人がいたりすることを知り、衝撃的だった。
このインタビュー記事では、家族同然に大切な存在である牛の安楽死という苦渋の決断を下した方もそうでない方も取り上げられているが、どちらの決断を下した農家さんもそれは楽な決断ではなかったことが痛いほど伝わってきた。
被災地の復興には、こうした事実をより多くの人が正しく知るということが必要不可欠であると思う。このインタビューのように地道な活動となるが、現地の人々の声を届け、多くの人の関心を集め、議論を呼び起こし、忘れ去らないという不断の努力が復興へとつながると思う。

【相田泰介さん】
鵜沼さん
牛が自分で考え、電柵を超えて1号線を旅していたという話に驚きました。私のなんとなくのイメージで、牛たちは常に牛舎の中に繋がれており、緊急時には一切外に出れないものと思っていました。
ただ、飢えを凌ぐために自ら外に出ていく様子に、牛たちの生き生きとした姿が感じられました。鵜飼さんの「(大半の牛は)自由になった」という言い方も印象的です。震災という惨劇の中、人間と同様に牛たちも、生き物として試行錯誤したのだなと思いました。
半谷さん
電気も水もない、半谷さん夫妻の過ごした限界じみた生活を見て、改めて被災地の過酷さを知りました。100頭以上もの牛の骨が並ぶ、その凄惨な光景は、日々牛肉を享受する我々も知っておくべきものではないかと、そのように感じました。
そして、そんな中でも毎日何十・何百リットルもの水を運ぶ半谷さんの姿には、その土地と共に生きるたくましさを感じました。一人の若者として、半谷さんからのメッセージも、しっかり受け止めたいと思います。

【A.Kさん】
「ふるさと」がなくなる,という言葉の重みを改めて実感した.自分自身あまり生まれ育った町にそこまで愛着があるわけではないので思い至らなかったが,故郷に思い入れがあって,その自然やそこでのコミュニティをベースに生活していたら,移住先での生活は全く変わってしまうのだなと痛感した.特に土地と暮らしていらっしゃった農家さんや酪農家さんならなおさらである.新しい土地に染まりにくい,なじめない,という感情は日々の生活で大きなストレッサーとなっていて,体調を崩されるまでに追い詰めてしまうと思うと,「慣れ親しんだ街で生きたい」と願う人々の気持ちに少し近づくことができたのかなと思った.名前をつけてかわいがっていたウシの殺処分に立ち会えば見殺しにしてしまったような罪悪感が消えないだろうしその傷は深いと思う.このインタビューを通じて被災者の方々の傷を仔細に伺うことで,「震災から10年」といってもすべての傷が癒えるわけではないということを,ぼんやりとではなくはっきりと知ることができた.

【矢野日和子さん】
知っているようで知らなかった震災。吉田さんご夫妻へのインタビューを読み、震災の実態を垣間見たような気がします。印象に残ったことを二点挙げます。
初めに、地震とそれに付随する災害の甚大さです。大きな地震に加え、原発事故。たった一瞬にして、今まで築き上げてきたものが崩れ去る、そんな実感を受けました。吉田さん夫妻にとっては、当時飼っていたヤギと羊もその一部です。動物たちは、こだわりの餌で、大切に育てられてきました。そして、ヤギや羊のお世話を通して、吉田さんご一家は絆を深めてきました。睦美さん・和浩さんのお話は、どんな報道よりも被害の甚大さを伝えているように感じます。次に、吉田さんご一家がヤギと羊に愛情を注いできたことです。震災前から大切に育てていたことはもちろん、震災発生後のエピソードが動物への愛を物語っています。原発事故発生後、吉田さんがお住まいだった川内村は警戒区域に指定されました。実態の分からない放射能や健康被害への不安。誰も経験したことのない事態は、誰にも対処法が分からない事態でもありました。そんな状況の中、吉田さんご夫妻は避難先から川内村に通い、動物たちに餌やりを続けます。餌やりに通っていた当時の心境を、睦美さんはこう語っています。「不安よりかは餌やりをやめたら動物が死んでしまうなっていう追い立てられるような気持ちで、自分よりかは彼らはあそこから逃げることができないですし、自分で餌を取りに行く事もできないという訳なので人間が関わらなければ死んでしまうっていうほうが強かったので。」ただの動物ではなく、家族の一員として。吉田さんご一家が動物たちを心から愛し、守るべき存在として認識していたことに心を打たれました。あの日から10年、震災の実態と教訓を語り継いでいくべく思いを新たにしました。

【富田大愛さん】
農家の方のインタビューを見た感想として、楢葉の渡辺さんの動画拝見しました。
渡辺さんも牛を飼われていたのですね。その後は被災牛として国に処分されてしまったと聞き取れたのですが、間違いないでしょうか?私が福島に行った時も感じましたが、震災による事故によって何でも「汚染」と称して多くの物が処分され奪われてしまうというのは、あまりに無差別というか、ひとつの事故でそこまでしないといけないエネルギーって何様だ?と思います。
渡辺さんがこうして無事で、当時の様子を聞くことが出来るのはとても重要だと思います。

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